トヨタ エスティマは、1990年5月から2019年10月まで、約30年間で累計180万台以上を販売。“天才タマゴ”と称され、モデル末期でも、堅調に販売実績をあげていたクルマである。
人気の高かったエスティマも、トヨタの車種整理で消えた名車のひとつだが、人気車がなぜ絶版になってしまったのだろうか。
元トヨタディーラー営業マンの筆者が、エスティマ消滅の理由と、多くのユーザーに愛されたエスティマが持っていた唯一無二の価値について考える。
文/佐々木亘、写真/編集部、TOYOTA
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■なぜ“人気車”エスティマは廃止されたのか
エスティマがフルモデルチェンジをおこなったのは、わずか2回だけだ。
初代は1990年から10年間販売され、2代目は2000年から6年間、3代目は2006年から13年間という長い間、販売され続けた。頑なにコンセプトを守り、エスティマらしさを貫いた約30年において、モデルチェンジという概念が、不要だったのかもしれない。
2017年、エスティマは年間1万3904台を販売し、乗用車ブランド通称名別順位では41位に入る。2018年には、9062台で47位だ。フルモデルチェンジから10年以上経過したクルマが、トップ50に入ることが驚きだった。
底堅く売れ続けたエスティマだが、トヨタの併売に伴う、車種整理のあおりを受け、絶版となる。
エスティマの人気は日本では高かったものの、世界全体で考えると疑問符が残る。グローバルカーが多いトヨタのなかで、最優先にリストラされるのは国内専用車だ。エスティマも、その例に漏れず整理の対象となった。
日本では少子高齢化が進み、大型ファミリーカーの需要が、今後伸びにくいという判断もあっただろう。国内のミニバン需要を、アルファードとヴェルファイアで支えることができており、エスティマにミニバンとしての活躍を期待することが難しくなった。
こうした絶版に至る理由は理解できるのだが、エスティマの価値とは「ミニバン」だけだったのだろうか。
■エスティマが持つ「ミニバン以外」の価値
筆者は、エスティマが持つ本当の存在価値は、「ミニバンではない」点にあると考える。
初代エスティマは、「高性能ニューコンセプトサルーン」と銘打ち、新しいタイプのクルマを提案するものだった。
当時、一般的だった、四角いボディの「バン」ではなく、セダンやクーペに近いエクステリアや使い心地で、多人数乗車を実現したのがエスティマだ。エスティマをミニバンという言葉で括るのは、少し乱暴に思う。
販売現場でも、単なるミニバンではない、エスティマの価値を感じていた。
家族の中でクルマに対する意見が食い違うことはよくあるだろう。お母さんや子どもがミニバンを買うよう求めるなか、お父さんはセダンやクロカンSUV、ステーションワゴンなどに乗りたいと考える。そんなファミリーが行き着く先がエスティマだった。
四角いミニバンは、ザ・ファミリーカーである。お父さんの中では、運転しているというよりも、させられているという印象が強く、箱型ミニバンのウケが悪いことは多々あった。
ミニバンを避けたいお父さんだが、全高が低く、ワンモーションフォルムが美しいエスティマには拒否反応がない。むしろ、「カッコいい」と言われる。セダンのように寝かせたフロントガラスと、メーターやセンターコンソールに囲まれた運転席に座ると「運転したくなるクルマだね」と言葉が出るのだ。
筆者は、グループ会社として取り扱いがある、ヴェルファイアやヴォクシーを販売することもあった。筆者が箱型ミニバンの商談をすると、家族の中でお母さんと仲が良くなる。購入後の点検でも、オーナードライバーであるお父さんではなく、お母さんが車両を持ち込むことが多かった。
しかし、エスティマの商談後は、決まってお父さんと話が弾むようになる。点検の時にも、必ずお父さんが来店し、談笑していくのだ。筆者の体感であるが、ミニバンを販売する中で、オーナードライバーといい関係を築けるクルマは、エスティマが一番と言ってもいい。
エスティマを選択する人は、エスティマをミニバンとして見ていないことが多い。購入者にとっては、セダンであり、ワゴンであり、SUVなのだ。いかなる調理方法でも美味しく食べられる卵のように、どのような使い方でもエスティマは、ユーザーを満足させるクルマだった。まさに「天才タマゴ」である。
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