日本車文化の真骨頂といえるジャンルに「ミニバン」がある。
1990年代に隆盛し、現在も一大勢力として君臨。「新たなお茶の間」として多くの日本人に愛されている。
そんなミニバンブームを作り上げたといっても過言ではない名車がある。1990年に登場した初代エスティマだ。
それまでどこか商用車っぽかったデザインから、3列シート車のデザインを一気に未来的な乗り物へと切り替えた初代エスティマ。
登場当初はどのような受け止められ方をしたのか? いきなり受け入れられたのか? 当時を知るジャーナリストの片岡英明氏に伺った。
文/片岡英明 写真/TOYOTA
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■日本市場にミニバン旋風を巻き起こした「天才タマゴ」
1980年代になり、クライスラーは今までにない新しいジャンルのクルマを発売した。それがビッグバンより少し小さいマルチパーパスカーのミニバンだ。FF方式の乗用車であるKカーをベースにしたダッジ・キャラバンとプリムス・ボイジャーで、これが今につながるミニバンの始祖と言われている。
いっぽう日本には早い時期から商用の1BOXが存在した。スペース効率においてはアメリカ型のミニバンの一歩上を行くし、シートアレンジも多彩。トヨタにはライトエースやハイエースといった働き者の商用1BOXがあった。
また、1982年には日産がプレーリーを発売し、翌83年には三菱がシャリオを発売。世の中に「ファミリーカーとしての3列シート車」が少しずつ浸透していった時代だった。
しかし、そうした「バンの派生車としてのミニバン」から明らかに一線を画したデザインで登場し、日本市場にミニバン旋風を巻き起こしたクルマがあった。それが「天才タマゴ」こと、トヨタエスティマである。
■先進的なデザイン、そして強い存在感!
初代エスティマは、キャブオーバースタイルを取る商用1BOXの開発で得られたパッケージングなどのノウハウと、乗用車設計で培ってきた高い技術力を融合して開発された。
開発当初は北米市場をメインターゲットとされ、晴海ふ頭から千葉県の幕張に会場を移した1989年10月の第28回東京モーターショーで、秘密のベールを脱いだ。
出品されたのは北米向けの左ハンドル車で、海外名の「プレビア」を名乗っていた。北米で先行して発売された後、1990年5月に日本ではエスティマの名を冠して正式発表されている。
エクステリアの開発コンセプトは「Egg on the Box」。個性的な球面ボディを採用し、日本でのキャッチフレーズは「トヨタの天才タマゴ」だった。先進的なデザインを手がけたのは、カリフォルニアに本拠を構えるトヨタのデザインスタジオ、「キャルティ」である。
短い鼻を備えた1.5BOXスタイルのボディは当時としては珍しい3ナンバーサイズ。全長は4750mmあり、全幅も1800mmと広かった。今では驚かないが、当時ワイドボディは少数だった。踏ん張り感が強く、背も高かったから強い存在感を放っている。
また、エアロダイナミクスも優秀で、Cd値は0.35の優れた数値を達成していた。
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