いすゞピアッツァ生誕40周年! ショーモデルをそのまま市販化した美しいクーペだった!!

いすゞピアッツァ生誕40周年! ショーモデルをそのまま市販化した美しいクーペだった!!

 今年でデビュー40周年を迎えた、いすゞピアッツァのプロトタイプが3月23日から神奈川県藤沢市にあるいすゞプラザで展示されている。

 その1979年に発表されたショーモデル「アッソ・ディ・フィオーリ」を改めて見ることができるいいチャンスとあって、モータージャーナリストの島崎七生人氏がいすゞプラザを訪ねた。

 今回、ピアッツァのプロトタイプを間近に目にした印象は? 市販車との違いなどを含め、名車「ピアッツァ」を島崎氏に振りかえってもらった。

文/島崎七生人  写真/島崎七生人、いすゞ

【画像ギャラリー】今も変わらず美しく……ジウジアーロの名作ピアッツァとプロトタイプ「アッソ・ディ・フィオーリ」を見る


■イタリアのデザイナー「ジウジアーロ」が手がけた名作のひとつ

G・ジウジアーロが手がけたピアッツァのプロトタイプ「アッソ・ディ・フィオーリ(Asso di Fiori=イタリア語でトランプのクラブのエースの意)」
G・ジウジアーロが手がけたピアッツァのプロトタイプ「アッソ・ディ・フィオーリ(Asso di Fiori=イタリア語でトランプのクラブのエースの意)」

 ベストカーWebの読者の方なら、「アッソ・ディ・フィオーリ」と聞けばピン!と来る人も多いはず。そう、G・ジウジアーロが手がけた名作のひとつ、いすゞ ピアッツァのプロトタイプ時代の名だ。

 アッソ・ディ・フィオーリの初出は1979年のジュネーブショーで、同年の東京モーターショーで“いすゞX”と名を変えて登場。その後、1981年5月にピアッツァとして正式デビューを飾った。

117クーペの後継として登場したいすゞ ピアッツァ。どちらもG・ジウジアーロのデザインだ
117クーペの後継として登場したいすゞ ピアッツァ。どちらもG・ジウジアーロのデザインだ

 ご存知のとおりピアッツァは117クーペの後継モデルだが、この117クーペもまたG・ジウジアーロが手がけた高級パーソナルクーペであり、今考えれば、何て贅沢でシアワセないい時代だったのだろう……と思う。

■ピアッツァ生誕40周年記念 9月までの期間限定展示

「いすゞプラザ」館内の様子。所在地は神奈川県藤沢市土棚8
「いすゞプラザ」館内の様子。所在地は神奈川県藤沢市土棚8

 ところで今年2021年は、ピアッツァ生誕40周年の節目にあたる。そこで神奈川県藤沢市にあるいすゞ自動車藤沢工場の隣接地に2017年に開館した「いすゞプラザ」で、アッソ・ディ・フィオーリの現車が展示されている(今のところ9月までの展示予定)という。

 折からのコロナ禍のため大々的な告知は控えたとのことだが、その情報を得て、これは見に行かねば! と、勇んで藤沢に向かった。

 1階エントランスホール(スペースの名はPIAZZA)に、アッソ・ディ・フィオーリはあった。思えば僕自身、このクルマの現車を間近で見るのは、まだ学生だった1979年のショー以来だ。

 ただし、目の前のアッソは1979年のオリジナルそのものだが、途中、およそ20年前に、いすゞ社内有志の手で今のキレイな状態にレストアされたもの。もちろん今でもコンディションは“動態保存”だ。

いすゞ広報・渉外部の中尾博さんにお話を伺った。レストア作業で自ら欠損部の修復を手掛けたアッソ・ディ・フィオーリの横に立っていただいた
いすゞ広報・渉外部の中尾博さんにお話を伺った。レストア作業で自ら欠損部の修復を手掛けたアッソ・ディ・フィオーリの横に立っていただいた

 「乗用車から撤退し社内的に士気が落ちている時、“文化遺産を残したい”と始めたのがアッソのレストアでした。集まったのは本社、開発、工場、販社、関連会社などから50人ほど。土日を使い、みんなでコツコツとやりました。

 デザイン部の倉庫でホコリまみれで保管されていたアッソは、ボディパネルは錆び、エンジンも当然動かなかったのでバラしてオーバーホールした。今から20年前、当時はまだ117クーペのハンドメイドを作っていた鉄板の叩き出し職人さんがいて、その人たちに教わったりもした。私はデザインの部分で欠損部分の修復を。

 いろいろなことができるメンバーが集まり、何より情熱があったからできたことだと思います。“小回り開発”と言っていた後のビークロスや、いすゞプラザ自体ができたのも実は同じ経緯でした」

 お話を伺った中尾博さんは現職は広報・渉外部の所属だが、もともとデザイナーで、FFジェミニ、ウィザード、ビッグホーンを始め、バス、トラックのデザインコンセプトなど幅広く手がけてこられた。

 その一方いすゞプラザの開館では、企画/デザインディレクターとして7年半ほど携わった。

 アッソのレストアでは中心的人物だったが、レストアはいわば“部活”であり、当然ながら通常のデザイン業務とは同時並行で、しかも中尾さんは、当時は自動車技術会・デザイン部会の委員長の要職もこなしながらの日々。

 「それはもう死ぬ思いでしたが、いろいろなことができて幸せだった」と中尾さんは当時を振り返る。

次ページは : ■思い出の中と変わらぬ姿でアッソはあった

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