■「HY戦争」で疲弊したホンダが飛び込んだ空の世界
ホンダが飛行機の開発を始めたのは1986年。和光基礎技術研究所が創設され、研究テーマとしてロボット(後のアシモ)、水素、自動運転などとともに選ばれた。
では、なぜホンダは同基礎研究所をつくったのか。
実はその前の、70年代後半から83年にかけて、ホンダとヤマハ発動機との間で、50ccバイクを巡る熾烈なシェア争い「HY戦争」があった。自転車よりも安く50ccバイクが店頭で売られたが、二輪首位のホンダが勝利する。仕掛けた同2位のヤマ発は赤字に転落し、社長は引責辞任する。
勝ったものの、不毛な戦いに明け暮れしたホンダは疲弊し倦怠感や脱力感が社内を覆ってしまう。そんな状況を打破するため、長期的な基礎研究に取り組む組織として同研究所は創設された、というのが背景にあった。
現在、ホンダジェットの航空機事業は、まだ単年度黒字化していない。運行する機数が増えるほどに、整備士の新規育成などでコストは増大していく。「さらに、受注を増やしていくしかない」とホンダ。
ボーイングの元経営トップが東大で講演した際、「航空機産業にとって最も重要な科目は経済学だ」と話した。初号機の納入から黒字化まで、最低でも10年は要すると言われているのが航空機ビジネスである。仮に撤退しても、ユーザーがいる限りメンテナンスを継続していかなければならない世界だ。
■航空機を作る意義も期待も大きく
それでも、航空機をやる意義は大きい。自動車の部品点数は多くて約3万点だが、大型旅客機のボーイング747-400は600万点に及ぶ。付加価値で比較すると、自動車は1トン当たり100万円に対し、航空機は数億円レベル。信頼性においても、航空機の方が圧倒的に高い。
ただし、完成品の生産量は航空機は自動車の1万分の1。部品も完成品も、航空機は一つを超高品位につくり上げていく。
つまり、モノづくりの特性はまるで違う。三菱重工業やスバルなど、主翼や胴体をつくりTie1に属する部品メーカーはいまでもある。だが、これらは下請けであり、やはり完成機メーカーがなければ、こうしたモノづくりは国内に育たない。
航空機の波及効果は大きく、複合材は自動車のボンネットに使われ、また新幹線の形状なども航空機技術から転用されている。
また、ホンダはどこまで考えているかはわからないが、戦闘機に代表される防衛基盤をつくる能力をもつことは、国の安全保障の面から実は重要なのだ。
コロナ禍による業績悪化から、三菱重工の子会社である三菱航空機が手掛けるリージョナル旅客機「スペースジェット」(SJ、旧MRJ)は、開発中断を余儀なくされている。それだけに、既に空を飛んでいるホンダジェットへの期待は大きい。
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