“世界戦略車”が日本で珍しい言葉ではなくなって久しい。
ちょうど2000年代に入った頃、日本車はグローバル化に舵を切り、世界各国で販売されるモデルを各社が打ち出すなかで冒頭の世界戦略車という言葉が強く打ち出された。
それから約20年。今やわざわざ世界戦略車という必要がないほど、世界各国で販売される日本車は増え、今や逆に日本でしか販売しないモデルを“国内専売車”というほど珍しい存在になった。
この20年で世界戦略車が日本のクルマ作りに与えた功罪とは?
文/御堀直嗣
写真/NISSAN、TOYOTA、編集部、Daimler
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「机上の計算だけでクルマづくりはできない」 世界戦略車が目指した効率化と壁
グローバルカーとは、日本語では“世界戦略車”となり、国内に止まらず世界各地の市場で販売することを目指したクルマを指す。
もとは、米国ゼネラルモーターズ(GM)が1970年代に提唱しはじめ、ドイツのオペルで開発したプラットフォームをもとに、カデット/いすゞ ジェミニ/英国ボクスホール アストラ/豪州ホールデン ジェミナ/米国シボレー シヴェットとして販売したのがはじまりではないか。
それまでは、車種ごとに開発をおこない、部品の共通化も明確ではなかった。グローバルカーは小型車対応に限らず、いすゞ ジェミニより一つ上級のアスカは、オペル アスコナ/ビュイック スカイホークなど、GMの各地域向けの車種などでも適用された。
グローバルカーという言葉が広く使われるようになったのは、1990年代に入ってからだろう。日本は1990年にバブル経済が崩壊し、欧米でも90年代は景気が鈍化していた。自動車業界にもそれが深く影響し、400万台クラブという言葉が流布され、グローバルカーの必要性が訴えかけられた。
各メーカー間の提携や合併により400万台クラブ入りを果たし経営の効率化を求めるとともに、いっそうの効率化のため数を求めたグローバルカーの代表的な車種は、日本車ではトヨタ ヴィッツ(海外ではヤリス)、日産 マーチ(海外ではマイクラ)、ホンダ フィット(海外ではジャズ)などがすぐ思いつくのではないか。
しかし、実はトヨタの例でいえば、カローラもカムリもRAV4も、グローバルカーといえる車種だ。逆にグローバルカーでないのはクラウンくらいではないだろうか。
効率よく車種を増やすため同じプラットフォームで世界に通じる車種を開発する発想は、数字上では多くつくるほど同じ材料や作業を通じた効率向上により原価を下げられ、容易に儲けられると考えてしまいがちだが、着想そのものは新しいわけではなく、量産性の視点に的を絞れば米国のヘンリー・フォードが流れ作業によってT型を大衆が買える乗用車にした70年以上前の取り組みを原点としている。
ところが事はそう容易ではなく、各市場には地域の実情や慣習に基づいた法令や安全基準などがあり、それぞれへの適応が必要だ。
またそれらすべての基準を満たしたうえで地域最適な改造をおこなおうとすれば、かえって余計な手間が生じてしまうことも考えられる。1970年代のGMの例でも、いすゞ アスカとビュイック スカイホークとは全く車型も外観も異なるクルマだ。
つまり、机上の計算だけでクルマづくりはできないというのが結論だ。
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