■第2位/三菱自動車リコール隠し:名門の凋落の始まり
■度重なる技術的欠陥の隠蔽で死傷事故も、経営陣・開発担当責任者が逮捕の「まさか」
2000年7月、内部通報による運輸省(当時)の緊急立入検査で、約23年間ランエボやパジェロ含む10車種以上17件60万台以上についてリコールにつながる重要不具合情報の記された商品情報連絡書を隠蔽し報告・開示せず、リコール・改善対策に関する届け出を行わずにヤミ改修してきたことが発覚。
欠陥車を放置したことによる人身事故の発生も報告され、当時の代表取締役社長が引責辞任、本社や工場なども道路運送車両法違反の疑いで警察に家宅捜索された。また当時の役員や法人としての三菱自動車も罰金刑、科料を受けた。
このリコール隠しを受け、全ての自動車欠陥情報を開示するよう求められたが、隠蔽されたまま運輸省に見逃されていた約74万台のリコール隠しが2004年に新たに発覚。技術的欠陥があるクルマが放置された結果、2002年に横浜母子3人死傷事故、山口トラック運転手死亡事故が発生。役員が逮捕される事態となった。
二度目のリコール隠しを受けて2004年度は販売台数が前年度比21.4万台減の131.3万台(14%減)、当期利益が4748億円の赤字となったうえ、最初のリコール隠しが発覚して3ヶ月後に34%出資して筆頭株主になったダイムラークライスラーが2004年4月に追加支援の中止を決定、提携解消を決め経営危機に。
2005年1月に三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行(当時)から新規に2700億円の増資、2400億円の借り入れなど追加支援を要請、三菱重工の持分法適用会社に。また日産が三菱自動車から軽乗用車のOEM供給を受ける提携を発表。またプジョー・シトロエン・グループへのSUVのOEM供給も発表された。
■「三菱御三家」の重工の分家が日産傘下に
そもそもバブル崩壊後、生産設備過剰だったところにリコール隠しにより顧客信頼度が低下、販売不振により新車投入も延期、宣伝広告も自粛という悪循環に入り、三菱自動車は著しい苦境に追い込まれる。その後2013年11月にルノー・日産アライアンスと商品、技術、生産能力を共有する提携に合意。
2016年4月、軽自動車の燃費・排ガス試験において日産自動車からの指摘がきっかけで不正が発覚。国土交通省へ提出した燃費試験データにつ いて、燃費を実際よりも良く見せるため不正な操作が行われ、国内法規 で定められたものと異なる試験方法がとられていたことが判明した。発覚後も国土交通省が指導した方法に基づかない不正な方法で燃費測定したことが明らかになった。
発行済み株式の34%を日産が取得。表向きは三菱自動車が得意とするアジアオセアニアでの稼ぎがルノー・日産を引きつけたという形だが、事実上日産の傘下に入ることとなった。
パジェロミニが大ヒットした1994年、1995年にはホンダを上回る国内シェアを持っていたが、現在は登録車・軽自動車合わせてもホンダの9分の1ほど、1.5%のシェアとなってしまった。
GTO、ランエボ、パジェロなどの名車を生み出したかつての栄光を知る人はどんどん少なくなってしまっている。
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