1985年に開催されたフランクフルトモーターショーに、一台のスポーツカーが出品された。その名も「MID4(ミッドフォー)」。完成度の高いスタイリングと妥協のないメカニズムで、「ついに和製スーパーカー誕生か!?」と、当時クルマファンは歓喜した。
その2年後、東京モーターショーに登場した進化版「MID4 II」はさらに完成度が高く、市販間近といわれていたが、結局発売されることはなく、MID4は「幻の名車」となってしまった。
「MID4」は、なぜお蔵入りとなってしまったのか。その事情と背景を解説していく。
文:立花義人、エムスリープロダクション
写真:NISSAN
「901活動」のなかで開発されたMID4
MID4登場前の1970年代は、世界的なオイルショックや排ガス規制の影響によって、燃費が良くて壊れにくい日本車が世界で大いに売れた時代だ。国内市場においても、トヨタと日産の2強状態で、当時日産は順調に業績を伸ばしていた。
しかし、80年代になると様子が変わってくる。日産は、当時のハイソカーブームやデートカーブームに乗り遅れてしまったのだ。シェアを回復するため、日産が長期的な戦略として掲げたのが「901運動」、すなわち「1990年代までに運動性能で世界一になり、技術の日産を復活させる」というものだった。
エンジン、シャシー、サスペンション、デザイン等クルマに関わるあらゆる要素において技術を向上させ、世界のトップを目指す。しかもこの考え方を日産の全車種に当てはめる。これは簡単なことではないが、それだけ焦りもあったということだろう。日産は本気だった。そんななかで開発されたのが、「MID4」だ。
最先端の贅沢なメカニズムと完璧なスタイリングで登場した「MID4」
「MID4」というネーミングは、ミッドシップレイアウトでフルタイム4WDであることから名付けられた。すでに前年の1984年には国産初のミッドシップモデル「MR2」が誕生していたので、ミッドシップそのものは特段センセーショナルではなかったかもしれないが、注目なのはそれ以外のメカニズムだ。
エンジンは3.0L V6DOHCのVG30DE型、最高出力230psのユニットをミッドシップに横置きする。オーストリアのシュタイア・プフ社製4WDシステムに、HICAS(ハイキャス)と呼ばれる四輪操舵システムも備わる、という、当時の最先端技術をこれでもかと搭載。
デザインも、ウェッジシェイプのスタイリングにリトラクタブルヘッドライト、たっぷりと長いリアセクションにサイドエアインテーク、機能美と品格を併せ持つリアビューなど、スポーツカーとしての完成度は非常に高いものであった。
コメント
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NISSANが好きなダチがいるので見せて上げたいですよ〜😢