日本で初めてミキサー車を開発したのは、スカイラインの父・桜井眞一郎である!って本当?

日本で初めてミキサー車を開発したのは、スカイラインの父・桜井眞一郎である!って本当?

 桜井眞一郎氏は、プリンス自動車・日産自動車でスカイラインの開発を担当し、後に「スカイラインの父」「ミスタースカイライン」などと呼ばれる伝説的なエンジニアとして知られています。

 その桜井氏には、もう1つ伝説があります。すなわち「日本で初めてミキサー車を開発したのは桜井眞一郎である」。

 クルマ好きな皆さんからは「さもありなん!」「これぞ伝説的エンジニアの真骨頂!」と肯定的に受け入れられると思います。

 ただ、この話、ちょっと引っかかるんですよね。少なくとも架装メーカーの関係者からは「そんな話、初耳です!」の声が……。

 そこで日本で初めてミキサー車を開発したのは本当に桜井眞一郎氏なのか、ファクトチェックしてみました。

文/トラックマガジン「フルロード」編集部
写真/「フルロード」編集部&犬塚製作所

【画像ギャラリー】日本の高度成長期をささえたコンクリートミキサー車の歴史を写真でチェック!!(6枚)画像ギャラリー

日本のミキサー車の8割を生産するKYBでハイロー君とご対面

ОEМ分を含めると国内市場の80%を占めるトップシェアのKYB。その熊谷工場で製造中の中型トラックベースのミキサー車
ОEМ分を含めると国内市場の80%を占めるトップシェアのKYB。その熊谷工場で製造中の中型トラックベースのミキサー車
重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されたKYBのハイロー型コンクリートミキサー車。建設ラッシュの真っ只中の高度経済成長期に投入された同車は、高品質なコンクリートが求められる時代ニーズを背景に、均質なコンクリートが得られる強制攪拌方式を採用していた
重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されたKYBのハイロー型コンクリートミキサー車。建設ラッシュの真っ只中の高度経済成長期に投入された同車は、高品質なコンクリートが求められる時代ニーズを背景に、均質なコンクリートが得られる強制攪拌方式を採用していた

 コンクリートミキサー車は生コンクリートを攪拌しながら輸送することのできる車両で、ほかに「生コン車」「アジテータ車」「移動式ミキサー」などとも言われます。

 そのミキサー車で国内シェア80%を占めるKYB(旧・カヤバ工業)の熊谷工場には、国立科学博物館が日本の科学技術の発展を示す貴重な資料として「重要科学技術史資料」(愛称:未来技術遺産)に認定したハイロー型コンクリートミキサー車があります。灰色に塗られてハイロー君……じゃなくて、「ハイクオリティ・ローコスト」の意味なんですね。

 ちなみに、この通称ハイロー君の前には椅子が4脚ほど置かれています。おそらく工場の昼休みなどには、ハイロー君の前で憩う人達がたくさんいるんでしょうね。

ハイロー型コンクリートミキサー車は、ドラム容量4.5立方m、ミキシング容量2.5立方m、架装重量2700kgだが、現在はKYB熊谷工場の憩いの場になっている
ハイロー型コンクリートミキサー車は、ドラム容量4.5立方m、ミキシング容量2.5立方m、架装重量2700kgだが、現在はKYB熊谷工場の憩いの場になっている

 同社では、1953年から37台を米国コンクリートトランスポートミキサーズ社から輸入し架装。1955年からは国産化し、合計2512台が生産されたそうで、このハイロー君もそのうちの1台。日本の行動経済成長を支えた強制撹拌方式のハイロー型ミキサー車の全盛は、しかし1964年の東京オリンピックの年を境に終わりを告げ、今日の傾胴型ミキサー車に移り変わっていきます。

 そのKYBでも話題になったのですが、「ミキサー車を発明したのは桜井眞一郎である」という話がネットでまことしやかに伝えられています。どうも「ウィキペディア」などの情報を鵜呑みにした人が再びそう書き込み、どんどん拡がってしまって、今ではそう思い込んでいる人が大多数になっているようです。

清水建設に在籍していた桜井眞一郎氏の功績か?

 いわく、プリンス自動車(当時たま自動車)に入社する前、桜井氏は清水建設に在籍していたが、東京駅近くの現場を担当することになった彼は、その研究熱心な性格と、もともと機械を専攻していた技術力から、自動的にセメントをこねてコンクリートにする機械(バッチャープラント)を発明し、この現場にて使用する。これにより、工期を大幅に短縮した彼は、社内での評価を急上昇させる。

 続いて担当した現場では、バッチャープラントを設置するスペースがなかった。桜井はアメリカですでに使われていたコンクリートミキサーをトラックのシャシーに載せることを発想し、国内では初めてのコンクリートミキサー車(生コン車)を完成させる。そしてこの現場も、従来の工期より早く完成を迎えることができた……。

 ちなみに桜井眞一郎氏は、1951年に旧制横浜工業専門学校(現横浜国立大学工学部)を卒業後、清水建設に入社しています。しかし、もともと自動車メーカー志望だったため、1952年10月にはたま自動車に転職しています。

 つまり、大学卒業後間もない桜井氏は1年足らずでバッチャープラントのみならずミキサー車まで開発したわけで、なるほど本当であれば伝説のエンジニアの面目躍如たるものがあります。

特装車のパイオニアと生コン会社がお互いのノウハウを持ち寄り共同開発

苦心惨憺のうえ国産の技術のみで開発された日本初のコンクリートミキサー車(1951年製作)。装置はPTOではなく独立エンジンで駆動するも、ドラムは現在も主流の傾胴型である。ちなみにこの車両の写真は、「生コンクリート工場発祥の地」の文字とともに、東京スカイツリーの袂に設置されたコンクリート製の記念碑で見ることができる。記念碑はかつての磐城コンクリートの業平橋工場から移設されたものだという
苦心惨憺のうえ国産の技術のみで開発された日本初のコンクリートミキサー車(1951年製作)。装置はPTOではなく独立エンジンで駆動するも、ドラムは現在も主流の傾胴型である。ちなみにこの車両の写真は、「生コンクリート工場発祥の地」の文字とともに、東京スカイツリーの袂に設置されたコンクリート製の記念碑で見ることができる。記念碑はかつての磐城コンクリートの業平橋工場から移設されたものだという

 ところで、日本には特装車開発のパイオニアと呼ばれる架装メーカーが2社存在します。西の矢野特殊自動車、東の犬塚製作所です。1919年に犬塚特殊自動車工業として創業した犬塚製作所は、現在は空港サービス車両に特化していますが、創業から1960年代半ばまで、実にさまざまな特装車を開発し世に送り出してきました。

 その犬塚製作所に確かめたのですが、同社は、日本の生コン産業の基礎を築いた磐城コンクリート工業(現・東京エスオーシー)と1951年に共同でミキサー車を開発しており、どうやらこの車両が国産ミキサー車の第一号であるといって間違いないようです。

 開発のきっかけは1950年頃から始まった地下鉄工事で、現場でコンクリートを調整するのがむずかしい丸ノ内線の建設工事のため、大量の生コンを運ぶ必要が生まれたこと。

 生コンの輸送は、コンクリートと水を分離させないで現場まで運ぶことが重要です。当初は、ダンプで運んで荷台を上げて流れ出させる方式が取られていたものの余り使い物にならず、次にダンプの荷台に攪拌のための羽根のある心棒を取り付けたアジテータ・ダンプなるものまで投入されたそう。

 さらに生コンの品質保持と効率化を求めて開発されたのが、生コンの大量輸送の決定打となるミキサー車でした。ドラムを回転させる駆動用として、PTОではなく独立したエンジンを備えているものの、現在も主流の傾胴型ドラムを採用した車両で、今日のミキサー車の原型をなす車両といえるものです。

一朝一夕にはできない現場のニーズに即したモノづくり

犬塚製作所では、ミキサー車とともに日本初のスクリュー式バラセメント運搬車も開発していた(1951年製作)。当時セメントなどの粉粒体は、紙袋や布袋に入れられ運搬していた。このクルマは、粉粒体のままタンクに収容し、底部に設けたスクリューコンベアで排出できるようにしたバラセメント運搬車の1号車である
犬塚製作所では、ミキサー車とともに日本初のスクリュー式バラセメント運搬車も開発していた(1951年製作)。当時セメントなどの粉粒体は、紙袋や布袋に入れられ運搬していた。このクルマは、粉粒体のままタンクに収容し、底部に設けたスクリューコンベアで排出できるようにしたバラセメント運搬車の1号車である

 それだけ完成度が高かったのは、生コンを知り尽くした磐城コンクリートのノウハウと特装車のパイオニアとしての犬塚製作所のノウハウが連携し、よりよいものを追い求めていった結果でしょう。それでも、苦心惨憺のうえにやっと実を結んだといいますから、現場のニーズに即したモノづくりは一朝一夕にはできないことだと思います。

 では、なぜ「日本で初めてミキサー車を開発したのは桜井眞一郎である」という話がまことしやかに広まったのか……。

 もちろん、桜井氏が何らかの「ミキサー車」をつくったのは本当のことだと思います、ただ、いくら探しても桜井眞一郎氏がつくったという「日本初のミキサー車」の正体が見えてこないので、断定こそできませんが、いくらなんでも「日本初」というのは言い過ぎではないかと……。

 つまり、豪放磊落で知られる桜井氏のちょっと「盛っちゃった話」に、さらに尾ひれがついて広まったというのが「日本初のミキサー車」の本当のところなのではないでしょうか?

 桜井氏が偉大なエンジニアであることは間違いありませんし、ケチをつける気も毛頭ありません。

 ただ、乗用車産業に比べれば、はるかにちっぽけな架装業界にも立派なエンジニアはたくさんいますし、少しでも世の中の役立つ製品をつくろうと日々励んでいます。

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