■V12エンジンとともに日本が誇るショーファーカーへ
V型12気筒エンジンは、乗用車用ガソリンエンジンとして究極の存在だ。これ以上の気筒数のクルマもいくつか存在するが、クランクシャフトの長さを考えるとほぼ現実的ではなく、V12が事実上の頂点である。カーマニアとして、「日本車もついにV12を作るようになったのか」という感慨があった。
その2年後の1999年、私は初めて12気筒のクルマを買った。フェラーリ512TRである。エンツォ・フェラーリは「フェラーリは12気筒でなければならない」と語ったが、それくらい12気筒エンジンは特別な存在。フェラーリを崇拝する者としても、2代目センチュリーは俄然、注目すべき存在となったのだ。
ちなみにセンチュリーのV12は、トラブルで片バンクが停止しても、残りの6気筒で走行できるようになっていた。私が最初に買ったフェラーリ(1990年式 348tb)は、V8の片バンクが電気系トラブルで何度も停止し、片バンクだけで走行する機会が多かったが、少なくともフェラーリのV8は、間違いなく片バンクだけで走ることができた。それも、けっこう速く。
もともと乗用車用のマルチシリンダーエンジンは、何気筒が止まっても走り続けられるように作られたという歴史がある。技術の進化とともに、「何気筒か止まる」といった故障はどんどんレアになっていったし、なかでもトヨタ車の信頼性は抜群で、そんな事態が起きる可能性はほとんどゼロに近かったはずだが、それでもセンチュリーのV12を「片バンク止まっても走れる設計」にしたのは、御料車として万が一にもトラブルはあってはならないという、日本的な考え方によるものだろう。
■フェラーリのV12とはどう違ったのか?
さて、そんな2代目センチュリーのV12エンジンは、どんな感触だったのか? それは驚くべきことに「無」であった。つまり存在感ゼロ、自己主張ゼロ。ひたすら自分の存在を隠すべく存在する、「巨大な虚無」とも言うべきエンジンだったのだ!
「これはすごい……」
私は打ち震えた。そして、V12エンジンにこのような方向性を与えたトヨタに、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
フェラーリの12気筒はこの真逆。それは300%自己主張のカタマリであり、ただ快楽のためだけに存在する。アクセルを全開にすれば「うおおおおおおお!」と叫ばずにはいられない。一言で言えば「魂の燃焼」である。
その対極には、ジャガーのV12があった。それはトロトロと蕩けるようなフィーリングで回る、陶酔のエンジンだった。「究極の退廃」とでも言おうか。
対するトヨタのV12は自己主張ゼロで、ただ快適かつ安全に移動することだけを目的に作られていた。そこにあるのは滅私奉公の精神のみ。まさに謙譲の12気筒……。
2代目のデザインは、初代の正常進化版で目新しさはなかったが、しかし同じクルマを30年間作り続けた継続力は、文字通り「力」であった。かつての古き悪しきニッポンの象徴は、他に類を見ない独自の高級車像へと昇華しつつあり、それは3代目に至って不動のものとなったように思われる。
ただ、3代目センチュリーからはV12エンジンが消え、V8ハイブリッドシステムが採用されていた。その滑らかさ、静かさはV12にひけを取らなかったが、カーマニア的には、V12という冠が取れたことに、一抹の寂しさを覚えた。
2代目センチュリー。それは、国産車唯一のV12搭載車として、歴史に名を遺すことになった。しかもそのエンジンは、世界にふたつとない、超日本的な「謙譲の12気筒」だった。そのことを私は、死ぬまで顕彰する所存である。
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