■自身の開発したマクラーレンF1を凌駕するモデルとして開発されたT.50
そんなゴードンがスーパーカーの世界に戻ってくるきっかけとなったのは、自身のキャリア50周年を祝うプライベートイベントで複数のカスタマーから、「スーパーカー界ではマクラーレンF1を超えるモデルが30年間登場していない」、という話を直接聞いたことだったらしい。
ゴードン自身も最近の「パワー重視で重く派手」なスーパーカーのあり方には疑問を抱いていた。そして決意したのだ。自身の50周年を祝う50番目のプロジェクトはマクラーレンF1を超えるスーパーカーを作ることにしよう、と。そうして生まれたのがT.50である。
T.50は、F1級クォリティのフルカーボンモノコックボディをもち、ミドにはコスワースと共同開発した3.9LV12自然吸気エンジンが積まれ、何とマニュアルトランスミッションのみのセンターシーター(3人乗り)で、そしてブラバムF1を彷彿とさせるファンカーでもあった。
ポルシェケイマンくらいのボディサイズで、車両重量は1トン以下。V12エンジンは1万2100回転まで回る超高回転型ユニットで663psを発揮するというから、スーパーカーマニアであればあるほど興奮する内容だ。
■T.33も見た目こそ控えめだが、マーレー氏のロードカーへの想いが詰まったモデルだ
T.33もマニアを虜にするという点では同じだ。こちらは左右ハンドルの選択可能な2シーターで、少々デチューンされたV12自然吸気を積み、3ペダルマニュアルに加えてパドルシフター付きも選べ、ファンこそないもののゴードン流のユニークな空力アイデアを盛り込んだハイパーカーである。
スタイリングのモチーフは1960年代のイタリアンベルリネッタ。GMAはT.33の派生モデルを2種類、近い将来に発表するとしている。おそらくはスパイダーと高性能版で、それぞれ100台の限定だろう。それらをもってGMAによる非電動のスーパーカー生産は終了するとも予告された。
ちなみに50の「あと出し」なのになぜ33だったのか。ゴードンはアイデアを思いついた順番にプロジェクト番号を振っている。1960年代の美しいイタリアンベルリネッタ再興への思いは随分と前からあった。
■T.50とT.30は20世紀的なスーパーカーの価値観をすべて備えた最終モデルなのか
要するにゴードン・マーレーのT.50とT.33は、内燃機関スーパーカー時代の最終章を飾るモデルたちであり、合計してもたった400台しか作られないというわけである。マクラーレンF1もまた100台しか作られなかった。その価値は前述したように今や20億円以上。
世界のスーパーカーマーケットがこの30年間で飛躍的に拡大していることを思えば、400台という数字はとても少ない。すでに将来の価値が約束されているという点もまた、あっという間に完売となった理由であろう。
思い返せば市販スーパーカーのコンセプト的な元祖は1962年から生産されたフェラーリ250LMで、本格的なロードカーという意味では1966年に登場したランボルギーニミウラが端緒であった。
それからスーパーカーのアイドルというべきカウンタックが生まれ、1980年代にはスポーツカー(レーシングカー)的な性能を持ち合わせたフェラーリF40が登場するに至ってスーパースポーツカーの時代へと突入する。
そして、その頂点を極めたモデルが1993年に発表されたゴードン・マーレー設計の3シーターロードカー、マクラーレンF1であった。
以来、スーパースポーツカーはエンジンパフォーマンスを引き上げ、カーボンファイバーに代表される高価なマテリアルを惜しみなく投入し、モータースポーツフィードバックの空力デバイスを積極的に取り入れて、いよいよ高価な贅沢品として自動車の最高峰であり続けた。
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