■不祥事も大きな要因に……アウトランダーPHEVに続けてパジェロの復権に期待!!
パジェロの衰退には、三菱全体の業績とブランドイメージも関係している。
三菱の国内販売台数は、国内全体の販売がピークだった1990年は約71万台で、1995年には約82万台まで増えた。それが2000年には約55万台に下がり、2003年にトラック&バス部門を分社化して、2005年は24万4000台だ。
2010年は17万6000台、2015年は10万2000台、2020年はコロナ禍の影響もあって約7万台まで下がったてしまったのだ。
この背景には、2000年以降に発生した三菱の複数回にわたるリコール隠し、2016年に生じた軽自動車の燃費試験における不正問題なども影響している。
クルマでは当然ながら安全性が重視され、不正の発覚はブランドイメージを傷つける。そしてクルマは移動のツールであると同時に、嗜好品の性格も兼ね備えるから、ブランドイメージが下がると売れ行きにも影響する。
パジェロが3代目にフルモデルチェンジしたのは、前述の1999年だから、発売直後に三菱のブランドイメージが急降下を開始した。3代目パジェロにとっては、最悪のタイミングだった。
この後、2006年に発売された4代目パジェロは、プラットフォームなどの基本部分を3代目と共通化しながら、原点回帰を思わせるシンプルなデザインで登場した。それでも売れ行きを回復できなかった。
4代目が登場した翌年の2007年に、パジェロの1か月の登録台数は500台前後で推移している。1992年には、2代目が1か月平均で約7000台を登録したから、約15年間で、パジェロの販売規模は10分の1以下まで縮小した。
以上のようにパジェロの消滅は、悪路向けSUVというカテゴリー全体の衰退、3代目パジェロの肥大化とユーザー離れ、アウトランダーやエクリプスクロスを始めとするシティ派SUVやデリカシリーズを含めたミニバンの台頭、三菱ブランドの失墜など、複数の要件が重なって発生した。
そこで改めて初代パジェロの外観を眺めると、背伸びをしない端正で美しい姿をしている。三菱というメーカーも、パジェロも、初代の志を持っていたら、今も存続していたかも知れない。ランドクルーザーやジムニーのように、憧れのクルマになっていたように思う。
今年は初代パジェロの誕生から40年、改めて国内での復活に期待したい。
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