中古価格が急騰中である。GT-Rなど当時から超絶憧れられていたクルマなら納得だが、なかにはなんで? というクルマも多々ある。
その筆頭が日産 ラシーンだ。いまでいうコンパクトSUVモデルのうえ、かわいらしい見た目が魅力の一台であったが、正直にいえば当時決してヒットとはいえない成績であった。ところが、今中古車市場では200万円というプライスタグが付けられているのだ!! 一体なんでこんなことに!?
文/永田恵一、写真/日産
■当時もかなり健闘! 出るのが早すぎた疑惑のラシーンとは!?
ネオクラシックと呼ばれる20~30年前の日本車人気が始まってから久しい。その中で地味ながら意外な人気が続いているのが、一代限りで姿を消した日産 ラシーンである。
ラシーンは現役時代から現在に至るまで、取り立てて大きな特徴がない……というのが率直な印象である。でも、なぜ未だ根強い人気を博しているのか!?
日産 ラシーンは1993年の東京モーターショーにおいてほぼ市販状態での参考出品。その後1994年12月に市販化されたモデルだ。
ラシーンのコンセプトは”私生活と自然にやさしく調和する「4WDプライベートビークル」”というもので、今でいうならコンパクトクロスオーバーに相当。当時日産はラシーンを新感覚のRVとアピールしていた。
B13型7代目サニー(ラシーン登場時点での先代サニー)をベースに、1.5リッターでスタートしたラシーンはボクシーなスタイルに加え、クロスオーバーらしく最低地上高は170mmを確保。
そして現代はFFがほとんどを占めるクロスオーバーSUVながら、ラシーンは駆動方式は絶版になるまで4WDのみだった点も特徴だった。
また、ラシーンのバックドアは上下分割となっており、下部は大人2人が座ることも想定。駐車中はベンチ代わりに使えることも便利でセールスポイントになっていた。
なお、車名のラシーンは羅針盤に由来しており、導入が早かった日産のWebサイトには導入時から現在まで羅針盤のサブネームが付いていたのも印象的であった。
登場後ラシーンは1.8リッターエンジンを搭載するftの追加がメインだった1997年1月のマイナーチェンジ、1998年4月の2リッターエンジンを搭載し、ヘッドライトを丸目4灯とするなどしたフォルザの追加を行い、特別仕様車も何度か設定された。
しかし、ラシーンのモデルサイクル終盤から日産はルノーとのアライアンスによる再建計画である日産リバイバルプランの1つとなるダイナミックな車種削減により、2000年8月に後継車なく絶版となってしまった。
ちなみにラシーンは月間販売台数目標が登場時1000台、マイナーチェンジ時1300台だったのに対し、累計販売台数は約7万3000台と、計画に対する販売面での達成度はまずまずであった。
また、ラシーンの販売計画は大企業である日産にとっては少量なこともあり、生産はBe-1、パオ、エスカルゴ、フィガロという日産パイクカーシリーズなどを手掛けた高田工業が担当した。そのためラシーンは高田工業での生産ということも含め、パイクカーシリーズの1台と言われることもある。
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