今もっとも売れているトヨタ車はRAV4だ。セダンでもなくコンパクトカーでもなく、今はやりのSUV!! 今の時代からすれば当たり前なんて思うなかれ、これかなり前からトヨタのなかで看板車種となっているのだ。
そんな人気モデルなのに日本は一時期ラインアップから消えるなど、かなり特殊な市場であることがわかるワケだが、どうしてここまで立派になってしまったのか!?
文/渡辺陽一郎、写真/TOYOTA
■年々下落する新車市場……今や1970年代の水準に
トヨタの2021年度(2021年4月から2022年3月)における世界販売台数の内、日本国内の比率は15%であった。販売総数の85%は、海外で売られたこととなる。ほかのメーカーも、日本国内の販売比率は大半が20%以下だ。
唯一の例外はダイハツで、トヨタの傘下に入る軽自動車が中心のメーカーだから、国内比率が76%に達する。
過去の販売状況を振り返ると、1980年頃までは、国内の販売台数が海外よりも多かった。それが1990年頃には、国内と海外の比率が各50%前後に落ち着く。そして2000年頃には、国内が40%に減り、海外は60%に増えて、2010年以降は、国内が20%以下で海外が80%を超えるようになった。
そして国内の販売推移を見ると、1970年は410万台だったが、1980年には502万台に増えて、1990年のピークには778万台に達した。
この直後から国内販売は下降を開始して、2000年は596万台、2010年は496万台、2020年はコロナ禍の影響も受けて460万台まで下がった。つまり今の国内販売台数は、50年前の1970年に近い。
■日本市場はそう甘くない!? 税制変更で大型化も国内不振のときも
以上のように、国内販売が1990年のピークを迎えた後は、国内販売が急降下する一方で、海外の売れ行きは増えていく。この背景には、クルマ造りの変化もあった。1990年以降は、それまで5ナンバーサイズだった日本車が、海外での販売も視野に入れ、次々と3ナンバー車に拡大されたからだ。
例えば1992年には、トヨタマークII/チェイサー/クレスタや三菱ギャランがフルモデルチェンジを行って3ナンバー車になった。1993年には、トヨタセリカ、日産スカイライン、ホンダアコードセダンなどが3ナンバーサイズに拡大されている。
このサイズアップの背景には、自動車税制の変更もある。1980年代までの3ナンバー車は税金が高く、自動車税は年額8万1500円以上であった。1.6~2Lの3万9500円(現在は3万6000円)に比べると、2倍以上になる。
それが1989年の消費税導入に伴って、自動車税制が改訂され、今と同じ段階的な課税に改められた。この改訂に喜んだのが自動車メーカーだ。旧税制では、3ナンバー車の税額が極端に高く、日本向けの5ナンバー車を開発せねばならない。海外向けには、5ナンバー車の拡幅版を投入したが、商品力は不十分であった。
しかし税金の不利が解消されると、日本でも3ナンバー車を売りやすくなる。メーカーは「これからは海外仕様車と日本仕様車を共通化できて、しかも日本のユーザーも立派な3ナンバー車になれば喜ぶから一石二鳥」と考えた。
ところがこの判断が裏目に出てしまう。当時は主に、北米向けの商品を日本国内にも投入したが、内外装のデザインや使い勝手が日本のユーザーの感覚に合わない。大柄なボディを含めて、日本のユーザーは疎外感を味わい、売れ行きを低迷させた。
その結果、1990年を境に、海外市場の盛り上がりと国内市場の衰退が始まった。近年の日本車が売れなくなった一番の原因は、税制改訂を利用して、日本車が日本のユーザーから離れたことにあった。
ボディサイズの拡大も原因のひとつだが、すべてではない。今日のアルファードやハリアーのように、大柄な3ナンバー車にも、販売の好調な車種はある。問題は「誰に向けて開発した商品なのか」ということだ。海外のユーザーに向けて開発された商品が好調に売れるほど、日本ユーザーと国内市場は甘くない。
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