次のガソスタまで100km先!? サービスエリアの場所ってどうやって決めてんの!?

■上下線で別モノ……など形態もさまざま……すべては使い勝手のため

 また、「サービスエリアの形もいろいろある。どの形をとるかは地形条件、用地取得の条件、眺望などを考慮して決められる」。

「富士川~牧之原サービスエリア間は距離が長いので、その中間にあたる日本平パーキングエリアには、かんたんな食事のできる軽食堂が置かれており、将来は給油所も設ける計画とされている」とあります。

 形というのは、道路に対する施設のありようです。上下線を別々にするのか、一緒にするのか。はたまた、道路よりも高くするのか、低いところにするのかというわけです。

 足柄サービスエリアは、上下線が別々で外側を向いていて景色が楽しめます。一方、浜名湖サービスエリアは、湖の眺望が楽しめるように、上下線が同じ側に作られています。杓子定規ではなく、状況にあわせて最適なスタイルを模索したようです。

■当初は修理工場も併設されていた!? 昔のパーキングの姿は衝撃モノ

 ちなみに日本の高速道路の最初のサービスエリアは名神高速道路の大津サービスエリアとなります。営業開始は1963年(昭和38年)の9月16日。日本初の高速道路となる名神高速道路の開通が7月16日だったことを考えると、道路が開通した2か月も後になって、ようやく営業開始となったようです。

 しかも、9月にできたのは給油所だけで、レストランはさらに1か月後の10月1日、そして修理所が10月9日にオープンしました。

 高速道路の開通と同時にサービス開始できなかったのは、金融の引き締めと公共投資の繰り延べが原因とか。つまり、お金がなかったからというのが理由です。当時の日本は、今とは比べものにならないほど貧乏だったということです。

 また、注目してほしいのはサービスエリアの施設として、ガソリンスタンドとレストランだけでなく、修理所が用意されていたこと。実は、高速道路が開通したばかりの1960年代当時は、モータリゼーションの黎明期。

 また、高速道路を初めて利用する人がほとんどだったということで、逆走やら路肩停車などが続出。さらにクルマも、オーバーヒートをはじめタイヤのパンク、燃料切れ、オイル切れ、冷却水切れなどが続出。給油所だけでなく、修理所も必須だったというわけです。

 ちなみに給油所やレストランは、開通当時から民間業者が運営していました。これは、当時の役所である道路公団よりも、民間業者の方がノウハウを持っていて高品位なサービスを提供できるだろうという考えがあったそうです。

 運営側もバタバタだったし、使う方もバタバタだったというわけです。今とは、相当に様子が異なります。今の高速道路のサービスが充実しているのは、そんなバタバタの経験を約60年もかけて蓄積したからということでしょう。

【画像ギャラリー】連続運転を避けて安全に走行できるよう考えられたサービスエリア&パーキングエリア(3枚)画像ギャラリー

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

最新号

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

不死鳥のごとく蘇る! トヨタS-FR開発計画は再開していた! ドリキンこそレジェンドの土屋圭市さんがトヨタのネオクラシックを一気試乗! GWをより楽しく過ごす情報も満載なベストカー5月26日号、堂々発売中!