日本ではスカイライン以外にセダンを持たない日産。海外では魅力的なセダンを販売し続けているのにこれは寂しい。日産の技術をもってすれば売れるセダンは作れるはず! セダン愛にあふれる片岡英明氏による復活のシナリオを語る!
文/片岡英明、写真/日産自動車
■次々と姿を消した日産のセダンたち
21世紀を前に日産の経営は行き詰まり、ルノーの軍門に降って援助を受けるようになった。コストカッターの異名を取るカルロス・ゴーン氏が経営の指揮をとるようになり、最初に行ったのがコスト低減と合理化だ。
そのために大幅な車種整理を断行している。ニッポンの自動車文化が分からないゴーン氏は、販売が低迷している日産のセダンに未練を残さなかった。老舗ブランドのセドリックとグロリアを筆頭に、ブルーバードやサニーなどの主力セダンを相次いで消滅させたのである。
日産とプリンスのフラッグシップセダンだったセドリックとグロリアは、2004年にフーガと名前を変え、海外市場を視野に入れて再出発を図った。ドライバーズカーの頂点に位置するプレステージ性の高いプレミアムセダンで、海外では「インフィニティM」を名乗った。
2009年11月に第2世代のフーガにバトンを託し、途中でハイブリッド車も投入する。だが日本より海外を向いて開発されたクルマだったこともあり、日本の道路では扱いにくかった。何とか2代目までは持ちこたえたが、長期にわたって放置したあげく、2022年夏に日産の販売リストから落とされている。
いっぽう1959年7月に誕生し、マイカーブームの火付け役となったミドルクラスの傑作ファミリーカーがブルーバードだ。日産を代表する老舗ブランドのセダンで、初代の310型と3代目の510型は数多くの伝説を残した。
また、トヨタのコロナとともに「BC戦争」と呼ばれる熾烈な販売合戦を繰り広げ、話題になっている。いつしかブルーバードはファミリーカーの代名詞となり、海外でも好評を博した。
が、1996年1月に登場した10代目は、ミニバンやクロスオーバーSUVに押され、販売が伸び悩んだ。そこで2001年夏に生産を打ち切り、シルフィとして新たなクルマ人生を歩むことにした。が、このシルフィも日本での販売を終了した。
ブルーバードの下のクラスを受け持っていたコンパクト・ファミリーカーのサニーも、1998年10月に登場した9代目で日産のラインアップから消えている。カローラは21世紀になっても存在感を放っているが、サニーは2004年秋にティーダと世代交代し、セダンはティーダ ラティオを名乗った。
が、それも長くは続かず、使い勝手のいいコンパクトセダンは日産陣営から姿を消している。今はこのクラスをノートとノートオーラが受け持っているが、これは2ボックスの5ドアハッチバックだ。4ドアセダンの兄弟車の設定はない。
コメント
コメントの使い方日産はもう終わってます。
他のメーカーに抜かれ今はジリ貧。
もう過去の様な栄光は来ないし昔の様に日産車を買うことは恐らく無いと思いますが。
星野朝子というゴーン軍団の残党が居座り続ける限り、ブルーバード級のスポーツセダンの実現なんて夢のまた夢ですよ。
星野副社長は、言っちゃ悪いけど、利益重視の考えなのと絶対クルマのビジネス知らなさすぎると思います。