■関潤氏は日産社長として有力候補だったが……
関氏とはいったいどういう人物なのか。これまでの足跡を簡単におさらいしておこう。最終学歴は防衛大学校で専門は機械工学。1986年に日産に入社後、主に生産畑を歩みつつ、カルロス・ゴーン政権下で優秀人材の“促成栽培制度”であるプログラム・ダイレクター制度で目をかけられ、2012年には執行役員となった。
その後、日産の中国合弁会社である東風汽車の総裁やルノーとのアライアンス業務などの要職を歴任。ゴーン氏失脚後、後任の西川廣人社長にも役員報酬に関する不正が発覚した時、後継社長として有力候補のひとりだった。
だが、日産の社長を決める指名委員会が西川氏の後任に選んだのは後輩格の内田誠氏。関氏のポストは副社長だったが、ポジションとしてはアシュワニ・グプタ副社長に次ぐ序列で三番手の副COO。
そこにスカウトの手を伸ばしてきたのがカリスマ経営者として名高い日本電産の永守重信氏だった。関氏は「売上高10兆円 (2022年3月期は1兆9000億円)」を悲願とする永守氏の野心に魅かれる一方、トップに就けない無念さからも未練を断ち切って日産を去った。
日本電産では2020年4月に社長、翌2021年6月には永守氏からCEOの座を譲られた。ところが、その日本電産はコロナ禍やその後のサプライチェーンの混乱などの影響で業績が伸びず、一時は1万5000円になんなんとしていた株価も急落。関氏はその責任を問われて2022年4月にはCEOを降ろされ、同年9月には日本電産を去った。
■完成車ビジネスは関氏悲願のステージ
まさに波乱に満ちたビジネスマン人生との感があるが、その関氏は鴻海のEVビジネスの実質トップというポジションを得て、今後どのような活躍を見せるのだろうか。
まず、ビジネスのネタとして完成車ビジネスというのは関氏にとっては願ってもないことだろう。関氏が日産を去ったのは、後輩に先を越されてナンバースリーのポストに置かれたのが不満だったからであって、完成車メーカーとしての日産のビジネスが気に入らなかったわけではない。
世界で急成長を遂げているEV分野では完成車メーカー、部品メーカーの双方に大きなチャンスがあるが、華々しさで言えば何と言ってもエンドユーザー向けの商品を作る完成車ビジネスだ。
長年、日産で活躍してきた関氏にとっては自家薬籠中のステージでもある。日産と日本電産を不本意な形で去らざるを得なかったが、新天地はまさに願ったり叶ったりの一発逆転を狙う絶好のチャンス到来であろう。
では、鴻海成長のカギを握る日産や日本電産との協力関係についてはどうか。関氏は両社と深い関わりを持っているが、正直遺恨もある。ここはルノー・日産アライアンスという非常にデリケートな協業のスーパーバイザーの仕事を通じて獲得したコミュニケーション能力に期待したいところでもある。
過去の経緯は過去のものでしかなく、今をベースにお互いのメリットの最大化を志向するというビジネススタンスを取ることは本来の得意技だとみられる。
そんな関氏の最終目標が鴻海をEVメーカーの世界大手に育てることというのは言うまでもない。玉石混淆のなか、道は決して平坦なものではないが、関氏が三度目の渡り鳥人生でそれを成し遂げられるかどうか、これからの経営手腕を興味深く見守りたい。
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