今や数えるほどしかない国産セダン。かつての国産車のスタンダードは圧倒的にセダンだった。その当時、SUVやミニバンなどの選択肢がほとんどなかったこともあるが、各メーカーは多くのセダンを発表。人々はそれに憧れ、所有した。国産セダンの代名詞的5車種を振り返ってみたい。
文/奥津匡倫(Team G)、写真/トヨタ、日産、ベストカーWeb編集部
■アゲアゲの日本人の心をわしづかみにしたトヨタ マークII 3兄弟
日本のセダンを語る上で、避けて通れないのがマークII、チェイサー、クレスタの3兄弟だ(以下、マークIIとする)。1980年代中盤の日本は、バブル景気に向かい上り調子。多くの人が、「より高級なクルマに乗りたい」という思いを抱いていた。
そんなニーズにハマったのがマークIIだった。クラウンには手が出ないけれど、頑張れば手が届く、現実味のある憧れ。2リッターながら6気筒のエンジンと豪華さを感じさせる内装や装備など、クラウンに次ぐ2番手の高級車として十分な満足感が得られた。
そんな頃に巻き起こったのが「ハイソカーブーム」。“ハイソ”というのは今でいう“セレブ”のような言葉で、頑張れば手が届く高級車のマークIIは、まさにその中心だった。
とりわけ70系の黒のハードトップとスーパーホワイトのボディカラーは当時最強の組み合わせだった。その人気は後継モデルの80系でさらに高まり、もっとも売れた車種になったこともある。
■時代を先取りし過ぎ!? 4ドアクーペの先駆けとなったトヨタ カリーナED
1980~90年代のセダンブームの人気の条件に“ハードトップ”があったというのは前述の通り。ハードトップとは、そもそもはオープンカーに装着する脱着式ルーフを意味するものだが、それが転じてBピラーを持たない(あってもごく細いもの)セダンを指すようになった。
窓を開けた時の解放感や、中央に太いピラーがないスタイリッシュさが大ウケし、現在の衝突安全基準ではありえないBピラーなしのセダンが各社からラインナップされた。そこに登場したのがカリーナEDだ。このクルマはトヨタ車初のピラーレスハードトップ車だった。
カリーナEDは当時、驚くほど車高(ルーフ高)が低く(1310mm!)、使い勝手に優れたモデルではなかったが、そのスタイリッシュさが多くの人の心をつかみ、瞬く間に大人気となった。その人気ぶりは、同様のコンセプトを持ったモデルが後追いで登場したことでも明らか。
しかし、カリーナEDをはじめとするピラーレスハードトップ車は、それまでの人気がウソのように、2000年を待たずして消滅してしまった。
2004年に発売されたメルセデスCLSを始めとする、ルーフの低い4ドアクーペと称するモデルが登場した際、カリーナEDを思い出した人も多いはず。はるか昔に見たようなフォルムに、あらためてトヨタの先見性を感じた。
コメント
コメントの使い方セダンの定義って何だろ?
3BOX?1940年代から50年代までセダンと言えば今流に言うと2BXだった。これセダンと言わないの?