日産の「901運動」のなかでFF車の代表例といえば初代プリメーラ。その卓越したハンドリング性能は欧州車を超えたとの高い評価を受けたが、現在の日産ラインナップにその末裔がないのはなぜか。当時を振り返った。
文/片岡英明、写真/日産
■1980年代前半にFF路線へ舵を切った日産
1970年代前半、ヨーロッパを中心にボディ形状と駆動方式の革命が起こった。コンパクトカーはハッチゲートを備えた2ボックスデザインが主役となり、駆動方式は操舵と駆動を同時にフロント側で行うFF(FWD)方式が一気に増えてくる。
1980年代になると、上級のミドルクラスからアッパーミドルクラスの4ドアセダンまで、FF車へと転換を図ったのだ。特に熱心だったのは日産である。チェリーでFF化に先鞭をつけた日産は、1980年代前半に当時の石原俊社長の大号令のもと、積極的にFF路線へと舵を切った。
マーチからプルーバードまで横置きエンジンのFF車になり、その上のV型6気筒エンジンを積むマキシマもFF方式を採用したのである。
■危機感を抱いた当時の日産社内のエンジニアたち
だが、保守的な日産ファンや上級クラスのユーザーは後輪駆動に強いこだわりを持っていたから、販売を大きく伸ばせることはできなかった。
ミドルクラスも同様だ。ライバルのコロナとアコードはファミリー層の獲得に成功していた。三菱のギャランとマツダのカペラはターボ車で高性能FF車であることをアピールし、若者をうまく取り込んだ。
これに対し、「技術の日産」の看板を掲げていながら、日産はFF車の魅力をユーザーに伝えきれていなかった。数年の間に日産はトヨタに大きな差をつけられ、ホンダやマツダからは追い上げられた。
上層部以上に危機感を募らせたのは日産のエンジニアだ。若手エンジニアを巻き込み、社内の啓蒙活動が始まった。これが1990年までに日産車のシャシー性能とハンドリング性能を世界ナンバーワンのレベルに引き上げることを目指した「プロジェクト901」、別名「901運動」である。
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