ひと昔は高性能モデルの代名詞的な存在であったが、今となっては当たり前なメカニズムとなったDOHC。スポーツカーはもちろん、一般的なモデルのエンジンにも採用されている。しかし、このDOHCエンジンを広く広めたのはヤマハあっての功績だった!?
文/西川昇吾、写真/ベストカーWeb編集部、トヨタ、ホンダ、FavCars.com
■国産初のDOHCはホンダだったけど
ヤマハがDOHCの民主化に一役買ったのは事実だと思うが、実は自動車に日本で初めてDOHCを用いたのはヤマハではなく、ホンダであった。
1963年に登場したT360という軽トラックに採用したのが日本車初であった。しかもこれはホンダ初の4輪車であることにも驚かされる。
ヤマハのDOHCエンジンと言えば1965年に登場した歴史的な名車トヨタ2000GTが最初な訳だが、そこにはヤマハとトヨタがタッグを組むにあたり、DOHCエンジンというアイテムが一つの大きなキーアイテムとなったからであった。
■自社でのスポーツカー開発を計画するが
元々自社でのスポーツカー製造を目論んでいたヤマハ。ヨーロッパのスポーツカーを中心に参考にしながら様々な研究開発を行っていた。
その中で、世界に通用するトップレベルのスポーツカーを作ることを目標に掲げていたわけだが、そのためには当時最先端技術であったDOHCは必要不可欠だと考えていた。DOHCに関する研究開発は1959年から始まっていたそうだ。
実際に試作エンジンや試作車を作っていた程であった。しかし、スクーターの失敗やオートバイでの不況などで自社でのスポーツカー開発は幻と終わってしまった。
そのような流れの中でトヨタからの依頼が来ることとなる。その内容とは「既製エンジンのチューンナップとスポーツ関係の開発、それに伴う少数の生産」であった。
こうしてあと一歩のところで叶わず、お蔵入りとなっていたヤマハのスポーツカーと自動車DOHCエンジンという技術が2000GTというプロジェクトで花咲くこととなった。
クラウンに搭載されたエンジンをベースにDOHC化したエンジンが2000GTに搭載された。
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