初代ソアラが大記録を樹立!! スープラにGT-R、NSXの戦いが熱い……最高速チャレンジをした「ヤタベ」激闘史

■ベストカー編集部員たちの「ヤタベの思い出」

午前8時の置き撮影の頃には睡魔の絶頂。陽当たりのよい芝生が心地よく、思わず極楽に引き込まれるが、次の瞬間先輩に叩き起こされるという地獄を味わう
午前8時の置き撮影の頃には睡魔の絶頂。陽当たりのよい芝生が心地よく、思わず極楽に引き込まれるが、次の瞬間先輩に叩き起こされるという地獄を味わう

●飯嶋穣(編集長):初見のアルテッツァに興奮したヤタベの早朝だったけど……

 思い出すのは1998年のアルテッツァ0-400mテスト初参戦の時ですね。当時、私はアウトドア雑誌「FENEK」所属でアルテッツァとは無関係だったんですが、ソッチの仕事は放っておいて積載車から降ろされるアルテッツァをドキドキしながら見てた記憶があります。

 まぁ、実車を見た感想は「……ベストカーのスクープCGのほうがカッコいい?」だったんですが、まぁ、それはそれとして「この仕事しててよかったぁ」と思った瞬間でした。

●飯干俊作(編集委員):ヤタベ名物即身仏とは取材に身をささげて悟りを開いた……ワケじゃあない

 谷田部の取材はコースでの走行テストと、敷地内にある芝生での撮影がワンセット。深夜に出て早朝からテスト。そのあと食堂で朝食を摂って撮影となるから、当然眠くなる。

 撮影の合間に芝生に座ると、眠気の限界がきて、そのまま動かなくなる人もいる。そのビジュアルはほぼ「即身仏」で、修行に身を捧げて仏になったという意味では近い面もある。その昔、谷田部には先輩に叩き起こされる難儀な仏様が出現していたというわけだ。

●梅木智晴(編集委員):憧れの聖地ヤタベはバイト小僧には過酷な修行の地でもあったのだ

 ベストカー編集部に潜り込んだのが1989年6月のことだった。「明日の朝3時に編集部集合な。ヤタベ行くから遅れるなよ!」と言われたのは、出社3日目のことだった。

 右も左もわからないアルバイト小僧だった私、朝3時に編集部に来る術もないので、前夜から編集部に居残っていると、2時半ごろから先輩たちが集まり出して光電管やら小野ビットやらを取材車に積み込む。初めて見た聖地ヤタベのバンクは、神々しく感じたものだった。

●市原信幸(編集企画部):オーバー200km/hを体験したのはもちろんヤタベが初めてだった

 1990年から1998年まで何度谷田部詣でしたことか。自分で運転して初めて200km/hの世界を経験したのは谷田部のバンクだった。

 谷田部といえばゼロヨンで、計測のための光電管用のバッテリー液がジーンズに付着してボロボロになったり、小野ビットが作動するか毎回ドキドキもの。

 徹夜続きで眠くても、体調がイマイチでもアドレナリンが爆出するのが谷田部で、ハイテンションの反動で谷田部終了後はバッテリー切れでバタンキュー。

●馬場武治(編集企画部):FENEK編集部員だったのにヤタベに連れ出されて受けた拷問のような出来事

 今でも覚えていますよ。1998年、「FENEK」編集部員としてRV(パジェロかオデッセイ)の3列目シートに乗せられ、ヤタベの円旋回路(スキッドパッド)でぐるぐると円を描くように走行! ドライバーは根本 純氏。

 「たのし~!」と笑いながら氏は運転していたが、数分後、私は「くるしい~」。頭クラクラ、胃はムカムカ。停止後、クルマを飛び出し、盛大にリバース!! その様を見て、本郷編集長(現役員)が大笑いしたことは忘れません。

【画像ギャラリー】つわものどもが夢のあと……ベストカー編集部に残る写真で振り返るヤタベテストと現在の谷田部(21枚)画像ギャラリー

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