初代NSXといえば1990年に登場し、それまでフェラーリなどが幅を利かせていたスーパースポーツ界に「ホンダここにあり!」を知らしめた1台。そんな貴重なモデルを20代という若さで手に入れたベストカー本誌編集部員が当時を語る。
文:ベストカー編集部・飯干俊作/写真:ベストカー編集部、ホンダ
■若造編集者の目の前に、突如NSXが現れた!
あれは1993年だったか1994年だったか。BCおなじみの自動車評論家、国沢光宏さんが編集部に来て「NSXを売ることにした」と話しているのをたまたま聞いてしまった。なんですと? 私の大好きなNSXを売るですと?
最初期型で走行8000km。実車を見たことはないが、国沢さんのクルマなのだから最高のコンディションであることは間違いない。思わず「それ、俺が欲しいです」と言ってしまった。
「飯干君なら480万円でいいよ」と国沢さん。相場よりかなり安くしてくれているのは確かだが、相場云々ではなくそもそも絶対値が高い。30歳手前の若造編集者には相当ハードルが高い金額である。国沢さん、さらにこうおっしゃった。「買うか買わないか、明日までに決めて」。
数分前に降って湧いた話で、それまでNSXに憧れてはいたが、自分が買うことなど1%も考えていなかったのに「期限は明日」になってしまった。
さすが即断即決、即答の人、国沢光宏さんである。驚いたが、今思えばその強引さがよかった。「欲しいなぁ」「でも高いなぁ」「だけど、ほかでこの価格はないよなぁ」とグズグズやっていたらいつまでも結論は出なかったように思う。
このNSXを国沢さんの自宅に取りに行った時のことは今でも忘れられない。本人が不在で奥さまにNSXのカギをもらったのだが、乗り込み、車庫を出るまでたぶん1〜2分。社用車でお使いに出かけるくらいの、もの凄くあっさりした感じで真っ赤なスーパーカーが私のものになった。そのまま意味なく走り回り、街灯の下に停めて、外から飽きることなく眺め続けた。
■優等生の初代NSXは理想のスーパーカーだった
私が初代NSXを好きになった理由は、デザインとエンジンと雰囲気だったが、どんなクルマでもそうであるようにNSXも賛否両論があり、特に「スーパーカーガチ勢」にはデザインと雰囲気の評判が悪かった。スーパーカーは不良でなければならないと思っている人たちにとって、NSXは信じられないほど優等生に見えたのだ。
私はといえば、クルマは大好きだけどクルマで苦労はしたくないタイプ。遊ぶ相手も普通に常識のある人が付き合いやすくていい。そんな私にとって初代NSXは理想のスーパーカーだった。
もちろん、ただの優等生ではない。C30A型V6、3LDOHCのVTECエンジンは最高出力280ps/30.0kgmと、今のレベルではSUVやミニバンでもありそうなスペックだが、その音とフィールは「悶絶レベル」の素晴らしさだった。
全開にして高回転まで引っ張った時はもちろんだが、実はそれよりも一般道で普通に走っている時に気持ちよかった印象が強い。トルクの出方が絶妙にスポーティだったからだ。
ガチ勢はNSXの実用性の高さがお気に召さないようだったが、私はそこも好きな要素のひとつだった。すでに結婚していたが、NSX1台で生活はまかなえた。日常の買い物はもちろん、布団だってトランクに詰め込めた。
NSXではダメで、ほかにクルマを用意しなければならなかった記憶はない。ガチ勢がNSXを揶揄する言葉に「シビックのスーパーカー版」というような言い方があったが、言い得て妙。本当に実用性能の高いクルマだった。
普通に乗れるのに、本気を出せば猛烈な性能を発揮するのがカッコいい。私自身はNSXでサーキットを走ったことは一度しかないが、なんたってガンさん(黒澤元治氏)が開発したクルマなのだ。世界最高レベルに決まっているではないか。
結局、初代NSXは2005年に生産終了するまで16年間も生き続けた。タイプRの登場をはじめ、年を経るごとに「武闘派」の雰囲気が色濃くなっていき、最後のほうはスーパーカーガチ勢も納得の一台になっていたように思う。
私はといえば、それもいいけど、「シビックのように使えるスーパーカー」としてのNSXに大いなる価値を見出していた。荷物が詰めて、視界がよくて運転しやすく、ぶっ飛ばしたらめちゃ速い! 欧米メーカーには作れない、これぞ「JAPANオリジナル」だと確信していたのだ。
2代目NSX(2016〜2022年)も賛否両論あり、ガチ勢に噛みつかれやすいクルマだったが、私は大好きだった。おそらくバッテリーEVになる次の3代目NSXも好きなクルマになる気がする。NSXと私は(赤いとは言わないが、)そんな糸で繋がっていると思えるのだ。
【画像ギャラリー】20代で初代NSXを手に入れたベストカー編集部員が当時を振り返る!(23枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方