他メーカーの車両をOEM販売していたとしても、自社で売るときは自社のメーカーバッヂなどを装着することが当たり前となっている。しかし1980年代半ばに日産ディーラーで販売された「フォルクスワーゲン サンタナ」は、ドイツの自動車メーカーであるフォルクスワーゲンの名前を冠し、車両にも“VW”のマークが燦然と輝いていたのだ。
文/小鮒康一:写真/日産
■貿易摩擦の対策措置として生まれた“日本製サンタナ
1980年12月、日産とフォルクスワーゲンは、自動車をめぐる国際貿易上の問題解決に積極的に貢献することを目的として、自動車の分野において全般的な協力関係を樹立することに合意。そして翌1981年9月に、日産が日本国内で生産する契約を締結して生まれたのが、このフォルクスワーゲン サンタナだ。
そのためこのモデルは国産のフォルクスワーゲンということになり、日産はフォルクスワーゲンからエンジン、ミッション、ステアリングギヤなどの主要部品の供給を受け、日産の座間工場に新設された専用の生産ラインで作られていた。
オリジナルのサンタナは1981年にパサートのノッチバックセダン版としてすでに販売されていた。
日産は日本で生産・販売を行う上で、国内法規への対応はもちろん、日本の5ナンバーサイズに収めるために薄型のサイドモールを装着したほか、導入口の広いラジエターグリルやエアコンの標準装備化など、日本のユーザーに合わせた改良を施していたのだ。
なお、この日本製のサンタナは当時の日産サニー系の販売会社のほか、ヤナセの各支店でも販売されており、全国ネットワークで迅速なアフターサービスが受けられるという点もウリのひとつとなっていた。
こうして誕生した日産が生産するサンタナは、オリジナルと遜色ないドイツ車らしい走り味を実現していた。
コアなクルマ好きからは一定の評価を集めたものの、当時のローレルやセドリック/グロリアも狙うことができる価格帯であったにもかからわず、分かりやすい高級車感やハイテク装備などが備わらなかったことで販売は低迷。
1985年5月にはスポーティ仕様の「Xi5アウトバーン」が登場し、1987年1月のマイナーチェンジではDOHC 5気筒20バルブエンジンを搭載した「Xi5アウトバーンDOHC」が追加されるなどテコ入れがなされた。
しかし販売は好転せず、1台ずつロイヤリティを支払って作り続けるメリットも薄れてきたため、1988年末ごろには生産を終了している。
販売面では成功したとは言い難い日産製のサンタナであったが、日産としてはドイツのクルマ作りを学ぶことができ、日産車の強みも再認識することができ、ここで得た経験がのちにリリースされて欧州でも大ヒットとなる初代プリメーラなどに繋がることとなったのである。
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