デロリアンといえば映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイムマシンとしても人気のあるクルマだ。
しかし実際にはわずか9000台が作られたのみの非常に希少なクルマだったりする。創業者が薬物疑惑で逮捕されるなど、さまざまな不運が重なり、製造元のデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)は倒産してしまう。
そんなDMCの倒産後、日本に研究用として存在していた1台に徳大寺有恒が試乗した。1983年6月の試乗記をご覧いただこう。
文:徳大寺有恒/写真:ベストカー編集部、Shutterstock.com
■デローリアンに見るロータスの影
デローリアン(※)は紛れもなく2シーターのスポーツカーだ。このガルウイングドアを持つスポーツクーペはUSドルで2万5000ドルもする。
このクルマを年間2万台生産しようとした男は元GMのナンバー2、ジョン・ザカリー・デローリアンだ。
自動車の歴史上、自らの名を冠したクルマを作り、成功した男は少なくない。ポルシェ、ランボルギーニ、フェラーリ、シトローエン、フォード、クライスラー……etc。
しかし、それはほとんどが戦前に興されたものであり、戦後、特にアメリカではきわめて難事業とされている。今、私は難事業に挑戦し、敗れ去った男が作ったクルマ、デローリアンをドライブしている。
それはジウジアーロのシャープなボディスタイル(彼の作ったプロトタイプを元に、ロータスの技術陣の手によって開発された)を持ち、しかも、ボディスキンはステンレススチールというものだ。絶対錆びないクルマ、ペイントをいっさい必要としないクルマ……。
しかし、それは同時にクラッシュした時の修理の難しさをあわせ持っている。
インテリアは上等な本革で覆われ、カラーも渋いグレーで統一されていて、いかにも趣味は良い。小さな革巻きスティアリングホイールを握れば、そのムードはフェラーリやロータスといったミドシップGTのそれだ。
実際にはデローリアンはリアエンジンだが……。
ただ、平凡なアナログメーターよりも、エレクトロニック・メーターがふさわしい。ポジションはピタリと合い、低い着座姿勢や高いセンターシル、短いシフトレバーといったところは、このクルマの開発に大きく関わったロータスそのものだ。
※1983年当時は車検証の表記が「デローリアン」であり、一般的にもデローリアンと呼称していた
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