フェラーリと並ぶ名門が放ったスーパーカー マセラティ・ギブリ試乗 【徳大寺有恒のリバイバル試乗記】


 マセラティ・ギブリは日本でも人気が高く、マセラティの躍進を支えているが、初代モデルは1966年に誕生したスポーツカーだった。

 ギア時代のジウジアーロがデザインしたもので、現在でも彼の代表作とされている。’86年4月10日号の「私のお気に入り」からマゼラーティを愛した徳さんの試乗記を振り返ろう。

※本稿は1986年4月に執筆されたものです
文:徳大寺有恒
ベストカー2016年7月26日号「徳大寺有恒 リバイバル試乗」より
「徳大寺有恒 リバイバル試乗」は本誌『ベストカー』にて毎号連載中です


■1914年から続くイタリア・ボローニャの名門 マゼラーティ

 マゼラーティはフェラーリと並ぶ名門中の名門だ。マゼラーティ兄弟が自動車に興味を持ち、レースカーを作り続けたのだ。

 もちろんフェラーリよりもずっと古いスポーツカー/レーシングカーメーカーであり、第二次世界大戦後もフロントエンジンの最高傑作といわれる250Fを作り、“市販した”。このモデルを買い込んだスターリング・モスがF1の世界に登場したのだ。

 私がマゼラーティの存在を初めて知ったのは、中学2年生の頃だ。当時、この日本にはマニアックな自動車専門誌がただひとつあり、それは“スピードライフ”と呼ばれた雑誌だった。

 そのスピードライフにマゼラーティA6GCSが掲載されたのだ。このA6GCSは美しいスタイルの2座レーシングカーであり、このクルマを見て以来、私のなかにはいつもマゼラーティがあった。

低くシャープなフォルムはジウジアーロが手がけたモデルのなかでも、指折りの美しさを持っていた
低くシャープなフォルムはジウジアーロが手がけたモデルのなかでも指折りの美しさを持っていた

■トリノショーで誕生したギブリ

 1966年の秋のトリノショウで美しいギーブリが登場する。この時代からマゼラーティは生産車に力を入れ始め、有り余るほどのレース経験を生かしたスーパースポーツカーを続々と登場させる。

 ギーブリはアフリカに吹く熱砂の嵐の名前で、その名前の通り、すさまじいばかりの高性能を誇るグランツーリスモである。はじめは4.7L、V8DOHCだったが、本国では1969年に4.9Lに拡大され、ギーブリSSとなる。今回のギーブリはSS最終型となる。

 エンジンはもとはといえば、ル・マンにルーツを持つコンペティションエンジンで、昔の名残はアイドリング時などに残っている。ボア×ストロークは93×89mmというショートストロークで、335psを5500回転で発生する。そしてこの北イタリア、ボローニア生まれの熱嵐は最高速275km/hに達する。

 このクルマに乗った日、私は少々遠慮もあって160km/hプラスで加速をやめたが、これがオーナーの手にかかると一気に200km/hを超える。10年以上経たクルマでもあることを忘れさせる鋭い加速だ。

 最大トルク49kgmというのは伊達ではなく、グイグイとギーブリを引っ張り上げていく。その加速はフェラーリのV12とは違う、V8のものだ。V8は独特のビートを感じさせるが、もともとレーシングのためのものだから、遠慮なく音を上げるのだ。

 マゼラーティのモデルは現在のビトゥルボやクアトロポルテを含めて男らしく若々しい。それがマゼラーティの持ち味だと思う。

 フェラーリのどちらかといえばガラス細工のような繊細なイメージではなく、あくまでも骨太なフィーリングを持っている。マゼラーティを愛する人々はきっとこの骨太な男らしさが好きなのだろうと思う。

(上)インテリアにはレザーが使われるが、コックピット周りはラグジュアリーというよりもスポーティでレーシングマインドを感じさせる(下)1969年からエンジンは4.7ℓから4.9ℓとなり、最高出力も335psにアップし、最高速度は275㎞/hまで伸びた
上)インテリアにはレザーが使われるが、コックピット周りはラグジュアリーというよりもスポーティでレーシングマインドを感じさせる(下)1969年からエンジンは4.7Lから4.9Lとなり、最高出力も335psにアップし、最高速度は275㎞/hまで伸びた

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