徳大寺有恒氏の美しい試乗記を再録する本コーナー。今回は、ルノー5ターボを取り上げます。
ボディは量産車ながら、レースやラリーに勝つために専用エンジンを搭載したモデルは、ランエボやWRX STI、そしてGT-Rと、1990年代以降珍しくなくなりますが、5(サンク)ターボが初めてその姿を現わした’78年のパリサロン当時は、誰もが腰を抜かしたものでした。
FFからエンジンやミッションを180度回転させ、ミドシップのリアドライブとし、ギャレット製のインタークーラーターボを装着。
さらには、ぶっといタイヤを装着すべく、シルエットフォーミュラのようなオーバーフェンダーを採用したフォルムは、唯一無二の存在でした。
ラリー好きを驚喜させた5ターボの試乗記を、1985年8月10日号初出の「私のお気に入り」から振り返りましょう。
※本稿は1985年7月に執筆されたものです
文:徳大寺有恒
ベストカー2016年9月10日号「徳大寺有恒 リバイバル試乗」より
「徳大寺有恒 リバイバル試乗」は本誌『ベストカー』にて毎号連載中です
■「グループB」から輩出された成功車
いわゆるグループBカーというやつがある。200台以上を作り上げ、そこから一段と進化したやつを作って、コンペティションモデルにするというやつだ。
モータースポーツの世界は時おりそのレギュレーションが変わるけど、スポーツカーの場合は必ず最低生産台数が決められる。1960年代のGTカテゴリーは100台だったし、その後のグループ4は25台という塩梅である。
とにかく、このスポーツカーレギュレーションは、スポーツカーというものは、ある種の実用性を持たねばならない、それは、つまり公道を走れることを意味している。
400台なり、200台なりの生産義務はコンペティションスポーツカーにならぬための足かせと考えたらいいと思う。
歴史上多くのグループ4やGTカテゴリー、またグループBカーが存在する。そのアルものは我々マニアにもきわめて魅力的なものがあり、ビッグクラシックの名をほしいままにしているものもある。フェラーリ250GTOやポルシェ・カレラGTS904などはその典型である。
昨今のスポーツあるいはGTがすばらしい快適性と引き替えに本来の野性味を失いつつあることを考えれば、古典的、かつピューリタン的なスポーツカーを考えるなら、グループBやグループ4しかないじゃないかと思う。
この種のクルマは純粋に商業ベースでは考えられないが、わずか200台でも売れないよりは売れたほうがいい。今後グループBを作るメーカーは、負担を軽くするため、コンペティション優先とクルマの魅力とのバランスに苦労しそうだ。
そんななか、ルノー5ターボはすばらしい人気を得てカタログモデルになったほどの成功車なのである。
このルノー5ターボ成功の鍵は、この種のクルマとしては例外的なほどの実用性を持つと同時に溢れんばかりの魅力を備えているからであろう。
この私もWRCじゃたしかに好成績だが、プジョー205ターボ16は少しもほしくない。しかし、ルノー5ターボとなると大いにほしい。
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