【クラウン、インテグラ…顔が激変!?】マイナーチェンジで復活したクルマ5選

日産プレーリー(2代目)

デビュー:1988年9月
ビッグマイナーチェンジ:1995年8月

プレーリーは日本にミニバンというカテゴリーが存在しない時から多人数乗車モデルに果敢に挑んだ日産の意欲作だったが、クルマの出来はイマイチだった

 プレーリーというクルマは日本における今でいうミニバンの先駆車ながら初代、2代目モデルともに詰めが甘いところが多々あり、後発のシャリオなどに市場を奪われ、存在感が薄かった。

 2代目プレーリーは販売が振るわなかったこともあったのか、なかなかフルモデルチェンジできず、登場から約7年が経過しいつフルモデルチェンジされてもおかしくない1995年8月にビッグマイナーチェンジを実施。

 このビッグマイナーチェンジでは車名をプレーリージョイに変え、エンジンは古いCA型からこの時には熟成が進んでいたSR型に変更され、スタイルもボクシーなものとなった。 

 加えてリアのオーバーハングの延長とリアサスペンションの形式も変更されたことによりサードシートの居住性も大幅に向上し、このビッグマイナーチェンジの内容は確かにフルモデルチェンジに近いものだった。

フロントマスクだけでなくプロポーション、足回りなども変更されるなどフルモデルチェンジ級のビッグマイチェンを機にプレーリージョイと車名変更

 当時の日本は1994年に初代オデッセイが登場するなどミニバンブームが始まった時期だったこともあり、プレーリーはプレーリージョイにビッグマイナーチェンジされても決して他車に対するアドバンテージがあるクルマではなかったが、ミニバンブームという背景が強い追い風となり販売は激増。

 成功したビッグマイナーチェンジではあった。

マツダMPV(2代目)

デビュー:1999年6月
ビッグマイナーチェンジ:2002年4月

FRの初代からFFに変更となった2代目MPVは、走りを追求するマツダだけに期待感は大きかったが、エンジン、シャシーとも魅力的ではなかった

 FRだった初代モデルからFFのラージミニバンとなった2代目MPVの初期モデルはマツダがドン底だった時期に登場したこともあり、フォード製の2L、直4と2.5L、V6が設定されたエンジンは後者でも力不足で燃費も悪い、ボディや足回りはグニャグニャというひどいクルマだった。

 それでも広さと2.5L、V6でも250万円という定価に加えタップリ値引きもされるという安さでそれなりに売れていた。

 そんな状況を打破すべく2代目MPVはマツダに復活の兆しが見えてきた2002年4月にビッグマイナーチェンジを実施。

 このビッグマイナーチェンジではエクステリアだけでなく、エンジンはマツダ製で新開発の2.3L、直4とフォード製なのは同じながら大改良された3L、V6への変更、ボディ剛性の大幅な向上、それに伴うサスペンションの見直しなどが施された。

MPVはビッグマイチェンによりデビュー時とまったく違うクルマに生まれ変わった。エンジンも気持ちよく、ハンドリングと乗り心地を両立して販売を大きく伸ばした

 結果ビッグマイナーチェンジ後の2代目MPVは快音を響かせる2.3L、直4でも十二分な動力性能を確保し、シャッキとしたハンドリングや乗り心地も持つというビッグマイナーチェンジ前とは別のクルマのように生まれ変わった。

 それにも関わらずお買い得な価格はそのままと、ビッグマイナーチェンジ後のMPVは総合的にコストパフォーマンスが高いラージミニバンという自分の居場所を見つけることに成功。同時にマツダ復活の狼煙を挙げる存在にもなった。

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