意のままにクルマを操りたいと思った時、まずはその意志に100%応えられるだけの運動性能がクルマにあることが大前提だ。そのわかりやすいものが「速さ」だろうし、反応速度やハンドリング、立ち上がり、さらには軽快感といったフィーリング的な部分も入ってくるかもしれない。
クルマの運動性能の進化とは、そのまま「ドライバーの意志に応えるべく積み重ねた歴史」だという側面があるのかもしれない。その進化が人の予想の範疇を踏み超えた時、「名車」が生まれる。
いわゆるクルマとしての「身のこなしのよさ」が素晴らしかった日本車とは? 自動車評論家 斎藤 聡氏が選んだ10台がコレだ!
【画像ギャラリー】CR-X ロードスターを筆頭に、その動きの良さに驚愕した10台(プラスα)をギャラリーでチェック!!!
※本稿は2020年5月のものです
選出・本文:斎藤 聡
初出:『ベストカー』 2020年6月26日号
■めざましく運動性能が進化した1989年~1990年代の日本車がメインに
原点にして最終到達点なのではないか、そんなふうに思っているのが初代CR-Xとマツダロードスターだ。
CR-Xの登場は衝撃的だった。1.5Lで110ps(グロス)しかないのに、800kgの軽量ボディによってズバ抜けた運動性能を持っていた。軽さと足回りのよさでこんなに速く走れるのかと、目から鱗が落ちる思いだった。
ロードスターは作り手の走りのイメージが明確なスポーツカーだった。ひらひらと評されるロールの速さを利用して素早く旋回姿勢を決め、アクセルを踏み込んでリアに荷重を乗せ、弱アンダーの姿勢を作り出すと素晴らしく気持ちよく旋回してくれた。クルマとの一体感は感動的だった。
この2台こそが究極のライトウェイトスポーツだと思う。
この2台に割って入るユニークなクルマがある。初代MR2だ。量産初のライトウェイトミドシップ2シーター。ノーズの軽い軽快な操縦性を持っており、腰のあたりに旋回の中心があるのが実感として感じ取れた。当時ミドシップをリアルに感じ取れる初めての日本車だった。
1980年代終盤はスポーツカー百花繚乱の黄金時代。GT-Rはいまさら言うまでもないほどだが、操縦感覚はほぼFR。コーナー立ち上がりで4WDになって圧倒的なトラクション性能を発揮するという驚愕の駆動システムだった。
そんな強いスポーツカーを向こうに回し、本格ミドシップスポーツとして登場したのがNSXだった。特にタイプRはピュアスポーツと呼ぶに値するキレッキレの操縦性を持っていた。
A80スープラはそんな1990年代初頭を代表するハイパワーFR。
リアの左右のダンパーのオイルラインをつなげたREASサスで飛躍的にトラクション性能が上がった。実はニュルブルクリンクでREAS付きスープラに乗る機会があり、その圧倒的なトラクションを体験。スープラは忘れられない1台になった。
1992年は4WDに革命の起きた年だった。インプレッサWRXとランエボが登場。「曲がる4WD」の時代が到来した。それまで4WDはアンダーが強くて曲がらないというのが定説だった。
だからWRXに乗った時の驚きは忘れられない。なんでこんなに曲がるの? いくら攻めてもグイグイ曲がっていく。クルマが曲がってくれるなら2駆より4駆だろうと宗旨替えのきっかけになった。
4WD全盛のなか、またホンダからユニークなクルマが飛び出した。インテグラタイプR98スペックだ。
粗削りで「じゃじゃ馬」と評したくなるクルマだったが、タックインでリアがズルズル滑りアクセルオンでグイグイ前に進む痛快なクルマだった。
RX-7は、初代SA22C型が1978年に登場。もしかしたらこちらを10台に上げるべきだったかもしれない。軽量さと重量バランスのよさで、当時燦然と輝く1台だった。
FD3S型RX-7の5型は1999年発売。280psとなり、それに伴ってサスペンションのセッティングを一新。それまで硬く引き締めていた足回りをしなやかに。これによってコントロール性が数段よくなった。FD3Sは5型にして最高到達点に達したと言える。
ランエボはインプレッサととともに登場した。
三菱が得意とする電子制御4WDの最高峰は文句なくエボXだと思うが、もっとも印象的なのはエボIX MRだ。エボはVIIIあたりからドライバーのコントロール性に重きを置いて電子制御との親和に取り組んでいた。
エボIX MRは抜群のコントロール性で自由自在に振り回すことができ、かつ電子制御を使って驚異的な旋回性能と安定性を発揮させることも可能で、楽しい4WDだった。
振り返ってみると、1980年代から1990年代にかけてはさまざまな面でクルマが進化した10年だった。特にボディとともに運動性能が進化していく成長の時代だった。
感動のクルマがここに集中しているのはそこに理由があるのだろう。
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