レクサスはGSで世界に対抗する走行性能の実現を目論んだ
次にレクサスが目指したのは、走行性能であったのではないか。それが、GSによって体現される。GSが登場する前に、トヨタアリストが1991年に国内で誕生している。
クラウンのマジェスタと共通性を持つが、マジェスタが快適な高級車の趣であったのに対し、アリストはあくまで高性能4ドアセダンとして走行性能の高さを特徴とした。
トヨタは、1982年に2代目のカムリから横置きエンジンによる前輪駆動化(FF)を進め、1983年にカローラとコロナをFF化し、生産性の効率化や、室内空間の有効活用などを主眼にした小型車への転換をはかった。
そこから15年後の1998年に、アルテッツァを登場させ、後輪駆動(FR)による走りのよさや運転の楽しさを主張するようになる。
上級4ドアセダンでは、マークIIやクラウンはFRであり続けたが、どちらかといえば上質さを魅力とした車種であり、並行してアルテッツァやアリストを販売することで、若々しい活力を示そうとしたのではないか。
クラウンは、今日なお堅実な人気を保持する上級4ドアセダンであるいっぽう、代替えを主体とした販売によって顧客の年齢層が高くなる傾向は続いており、若返りをはかるため、8代目の途中の1989年からアスリートと呼ぶ車種を追加している。
さらに2003年の12代目では「ゼロクラウン」を掲げ、クラウンの価値を改めて問うこともしてきた。
4ドアセダンの商品性を拡張し、世代を超えた顧客に選択肢をもたらす商品体系とするためにアリストやアルテッツァが加わり、それらが、レクサスGSやISとなって、新ブランドの定着に寄与していくことになる。
レクサスが欧州で伸び悩んでいる理由
レクサスの展開は米国で成功したが、欧州ではなかなか伸びていない。LSは、メルセデスベンツSクラスや、BMW7シリーズ、アウディA8などの競合となり得るし、GSは、SEクラス、5シリーズ、A6の競合となり、ISはCクラス、3シリーズ、A4と戦える位置づけである。
なかでも、アリストやアルテッツァ登場の背景からすれば、GSとISが当面の欧州での戦力となっていいはずだ。しかし必ずしも成功しているとはいえないのではないか。
苦戦の背景にある理由のひとつは、欧州では新しいメーカーをブランドとして受け入れにくい風土がある。そこが、新大陸発見から自らの手で国を切り拓いてきたという意識の米国と異なる。
GSの競合と考えられるメルセデスベンツEクラスは、もともとはコンパクトベンツと呼ばれていた。今日のSクラスに相当する車種のひとつ下の小型車の意味である。
当時は、Cクラスなどまだなかった。Eクラスと名のつく1985年より前の1950年代まで原点は遡る。
BMW5シリーズは、1961年のノイエ・クラッセ(ドイツ語で新しいクラス)と呼ばれる新しい車種の誕生から歴史があり、そこから3シリーズも派生した。
アウディA6は、前型をアウディ100といって、今日のA4に通じるアウディ80のひとつ上の車格として1968年に誕生した。また当時のアウディ100は、最上級車種であった。
戦後の自動車史のなかで、ドイツの自動車メーカーの重要な位置づけとして生まれた競合車種に対し、GSが性能や造形などの価値とは別に、歴史として軽く観られたのはやむをえないかもしれない。
いかに挽回するかといえば、走行性能で肩を並べ、それを上回ることと考えたのではないか。GSと聞くと、GS Fをまず思い浮かべ、それ以外のGSの車種の価値が見えにくかったように感じる。
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