ステーションワゴンがないことによる苦境
もうひとつの理由は、欧州にはカンパニーカーという制度がある。企業で出世をして肩書が上がると、その身分にふさわしいクルマが貸与される。
それらに、競合他車が選択肢として並び、ある一定の台数が確実に売れる市場性がある。そこにレクサスは入っていないようだ。こうなると、販売台数の競争で初めから不利な状況にある。
さらに、競合他車にはステーションワゴンがあることも、販売台数を稼ぐうえで重要な点ではないか。
最上級の高級車はともかく、その下の上級車種には質の高さとともに、実用性も求められる。ステーションワゴンという選択肢は、SUVが登場するまで欧米に不可欠な車種体系であり、現在も継承されている。
4ドアセダンに絞ったGS、IS(アルテッツァにはジータ=レクサスISスポーツクロスというスポーツワゴンがあった)苦戦の要因がここにもありそうだ。
GSによってFRの操縦性をトヨタが手にした
GSは生産を終え、ISは大幅改良で販売が続けられる決断がなされた。過去17年間のGSの意味とは改めて何であったのか。
最大の貢献は、トヨタ社内にFRで運転の醍醐味を味わえる車種が必要だとの意識が高まったことではないか。
それが、86の誕生にもつながっているように思う。もし、アルテッツァとアリストが生まれていなかったら、86は俎上にあがらなかったかもしれない。
スポーティな車種を生み出すにしても、FFでなんとかならないかと考えるほうが、採算の点を含め話が進みやすい。しかし、採算や合理化だけでいいのか、という問いかけから生まれたのがアリストやアルテッツァであったはずだ。
もうひとつは、GS FではないGSの運転感覚が、きわめて自然で、あえて限界走行を試さなくても、日常のなかに運転の喜びを感じられる奥深さを味わわせる操縦性をトヨタが手にしたことだ。
究極の走りを極めたことで、それを解きほぐしながら広く展開し、FRのみならずFFであっても、運転の喜びがどこにあるかを技術で会得したことにより、ESの快さが生まれているのではないだろうか。
トヨタ車の走行性能の水準を欧州車並みに高めたうえで、駆動方式を問わず広く展開し、今日のTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)をいかんなく発揮させる背景に、GSやISの開発や存在の意義があったのではないかと思う。
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