■EV武将の家康、そして最弱ミラージュ小田氏治
西国を制した秀吉に残されたのは、東国であった。
まず立ちはだかったのは、時代を読むのに長けた先駆者、リーフ徳川家康である。鳴かぬなら鳴くまで待とう、いずれ天下は我が手中に転がり込むというその待ちの姿勢は、なかなかに侮れぬ。
対する秀吉はノートという影の薄い下層の出であったため、家康は誇り高きピュアEVとして、ノートe-POWERのシリーズハイブリッドを見下す部分もあった。
が、現実の実力は、秀吉のほうがはるかに上。なにせ販売台数(石高)が数倍も違う。
それでも家康は、小牧長久手の戦いで秀吉に一泡吹かせ、急速充電器の設置数を増やして名声を獲得。
秀吉は自らの妹・旭姫を家康とめあわせるという併売策で手を打ち、日産の電動化技術の棲み分けが成った。
家康も秀吉同様、優れた部下を多数抱えていた。代表的なところを挙げれば、まずはインプレッサスポーツ本多平八郎忠勝。
忠勝は、WRCチャンピオンのインプレッサの名を継ぐ無敵の武将であり、生涯57度の合戦で、かすり傷ひとつ負わなかったほどの猛将であった。
赤備えならぬ黄備えで名高い、スイフトスポーツ井伊直政も、徳川四天王のひとりである。燃費とパワーに優れるダウンサイジングターボに、6MTを組み合わせるという文武両道ぶりで、家康を大いに支えた。
ここでひとり、ハッチバック戦国物語の余話として、影の薄い武将について語っておこう。
戦国最弱との異名を持つ、常陸の国の武将、ミラージュ小田氏治である。小田氏治の弱さは際立っておる。
北条に負け、佐竹に負け、上杉謙信には何度もコテンパンにされた。ついには領国を失い、タイに本拠地を移したほどだが、
それでもなぜか返り咲くしぶとさの持ち主。いい加減滅んでもよさそうなものだが、執念で復活する。
実際、ミラージュ小田氏治に試乗してみても、価格や動力性能、快適性、質感、すべてライバルに劣っているのだが、それでも死なない。
多くの戦国武将が滅亡しているというのに、なぜミラージュ小田氏治が生き残れたのか? それは、ハッチバック国盗り物語の七不思議のひとつとされておる。
■東北にカローラスポーツ政宗、現わる
さてその頃、東北地方すなわち「おう州」では、いかなる争いがあったのか。
日本国において、「おう州」は寒冷の地。
コメをはじめとする作物はあまり獲れず、自然、勢力は弱かった。シェアはせいぜい5%というところで、畿内からは遠隔の地でもあり、捨て置かれた。
そんなおう州を群雄割拠したのは、南から、ゴルフ蘆名家、MINI相馬家、Aクラス最上家、A1南部家といった面々。
彼らは小競り合いを繰り返したが、本格的な全面対決にはいたらず、棲み分けていた。がしかし、平和なおう州にも、ついに風雲児が現われた。
それがカローラスポーツ伊達政宗である!
政宗は信長や秀吉に比べると生まれが一世代若い。しかも寒冷の地、おう州を主戦場にしている。その悪条件を乗り越え、畿内にまで攻め込んで天下を盗るのは極めて困難。
しかしカローラスポーツ伊達政宗は、おう州きっての風雲児。頑健な体力(TNGAプラットフォーム)の持ち主であった。
なによりも、その若さが魅力。なにせ親戚筋のカローラアクシオやフィールダーの平均ユーザー年齢は、それぞれ70代/60代。
しかしカローラスポーツ政宗は20代を狙うハッチバック。20代に新車買うカネがあんのか? という家中の疑問の声もあったが、しかし政宗は3ナンバーサイズの全幅を引っ提げて、南に向けて出陣した!
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