フォルクスワーゲングループの商用車部門であるトレイトンは、マンやスカニア、ナビスター・インターナショナルなどを擁する世界有数の商用車グループだ。
そのトレイトンはグループ各社で共有する次世代のディーゼルエンジンプラットフォーム「CBE」(コモン・ベース・エンジン)を開発しているが、同社は2022年4月5日のプレスリリースで「エンジンの新規開発はCBEが最後になる」と明言。
ディーゼルエンジンはもともとドイツのルドルフ・ディーゼル博士と、現在はトレイトン傘下のマン(MAN)が共同で実用化したもの。大型商用車においても電動化の潮流は不可避とはいえ、生みの親であるマンが「ディーゼルエンジンの終焉」を宣言したことに衝撃が広がった。
トレイトンは2026年までにバッテリー電気駆動に26億ユーロを投資する。しかしながら、従来の内燃機関からの移行は一夜にして成るものではなく、「最後のディーゼルエンジン」には、電動パワートレーンへの橋渡しをするという大切な役割が残されている。
余談だが、トレイトンは電動車両の開発などに関して日本の日野自動車とも協業関係にある。今般の不正問題による型式の指定取り消しの今後の状況によっては、日野が急きょCBEの調達に動く可能性もあるかもしれない。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部、写真/TRATON Group・Scania・MAN
ディーゼルエンジンの誕生
1893年2月23日、若いドイツ人エンジニア、ルドルフ・ディーゼルは「ラショナル・ヒート・モーター」の特許を取得した。熱エネルギーを運動エネルギーに変換するための高効率機関に関するこの特許は、その後、現代における最も画期的な発明につながった。
アウグスブルクの機械工場「マシーネンファブリーク・アウグスブルク」で新型機関の開発を始めたルドルフ・ディーゼルは、1897年に最初の「ディーゼルエンジン」を完成させる。
この20馬力のエンジンは、カルノーサイクルをベースとする内燃機関で、最初の公式試験からエネルギー変換効率26%という、非常に優れた効率を示した。当時最高効率の蒸気機関でさえ利用できるエネルギーは10%ほどで、90%は排熱として捨てられていた。
また、圧縮空気に燃料を噴射し、高温・高圧により自然着火するという点は、ガソリンエンジンに対しても大きなアドバンテージとなった。
ディーゼルエンジン完成後の1898年、マシーネンファブリーク・アウグスブルクはマシーネンバウ・AG・ニュルンベルクと合併し、今日のマン社が誕生した。
その後、マンはフォルクスワーゲングループの傘下に入り、商用車ブランドは「トレイトン」の元にまとめられたが、同社がディーゼルエンジンを生み出したことに変わりはない。
高効率のディーゼルエンジンは世界中に広まった。トラック、バス、乗用車のほか、船舶、鉄道機関車、建設機械、農機、潜水艦、戦車、発電機……。特に貨物輸送に関しては、今日の物流の大部分をディーゼルエンジンが支えている。
共通エンジンプラットフォームの開発
とはいえ、間もなく誕生から130年のディーゼルエンジンは、終わりを迎える。
これは、ほかならぬディーゼルエンジン自身が、19世紀に蒸気機関を終わらせたのと同じことだ。近い将来、排出ガスを出さないパワートレーンが、化石燃料を燃焼するエンジンに終わりを告げるだろう。
ただし、この変革が一夜にして起こるわけではない。トレイトングループにおいても、ディーゼルエンジンには最後の重要な役割が残されている。
トレイトングループのコンベンショナル・パワートレーン部門のトップで、アメリカ人エンジニアのマイケル・カニンガム氏は、新しいコモン・ベース・エンジン(CBE)について、次のように話している。
「グループの大型トラック用エンジンの新たなスタンダードとなる、革新的な新型ディーゼルエンジンは、来るときに備えるための『橋渡し』の役割をするよう設計されています」。
同氏はまた、CBEの開発は、簡単なことではなかったと振り返っている。
「新しいCBEは、革新を詰め込んだような製品です。開発作業を始めたのは2012年の(トレイトングループの)スカニアでした。これはフォルクスワーゲンが傘下の商用車ブランドを『トレイトン』に集約するよりかなり前のことでした。
マンが開発に加わったのは2015年で、その後、開発はグローバルな共同プロジェクトとなり、アメリカのナヴィスター、ブラジルのVWCO(フォルクスワーゲン・カミニョス・オニブス)なども参加することになりました。
文化も、産業構造も、当局による規制もバラバラで、乗り越えなければならないハードルが多くありました」。
グローバルに展開するベースエンジンの開発には、トレイトンブランドの全社から多くのエキスパートが参加し、新型13Lエンジンシリーズは燃費の劇的な向上と、全体的な効率改善を果たした。