なぜこんなにも美しいのか!!! 外国人デザイナーが手がけた美しい日本車6選


■スバルR1、R2/アンドレアス・ザパティナス

■スバルR2

航空機をモチーフにしたスプレットウイングスグリルを採用したR2は2003年12月発売。マイナーチェンジでこのスプリットウイングスグリスは廃止された。4輪独立懸架を採用し、走りも定評があったが当時は軽ハイトワゴンブーム、販売はふるわなかった

■スバルR1

2004年12月に発表されたR1。2+2の4シーターだが後席はミニマム。乗り味は軽とは思えないほど上質でデザイン含め今でもファンが多い

※スバルR1の特選中古車はこちら

※スバルR2の特選中古車はこちら

スバルの問題作、R1、R2。販売的には目を覆うばかりの大失敗だったが、デザイン的には大変な意欲作で、特にR1に関して、故・前澤義雄氏(元日産チーフデザイナー)が絶賛したことは忘れられない。

この2台をデザインした人物こそ、アンドレアス・ザパティナス氏(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)である。

ザパティナス氏は、フィアットでバルケッタのデザインにかかわったのち、師であるクリス・バングルを追ってBMWへ。その後フィアットに復帰。そして2002年、スバルのチーフデザイナーにヘッドハンティングされた。

彼が真っ先にやったことは、「スプレッドウイングスグリル」の採用だったと言われる。ブランドには統一イメージが必要だというのは、当時徐々に常識になりつつあった。

2003年にR2が、2004年にはR1が発売。どちらも欧州車的な凝縮感が強いフォルムを持ち、フロントにはスプレッドウインググリルが輝いていたが、室内はライバルに比べるとケタはずれに狭く、軽としては驚くべきデザイン優先。

諸説あるが、実際に描いたのはチーフデザイナーの田中明彦氏で、ザパティナス氏がスバルに来た時には、R2のデザインがほぼ出来上がっていて、登場時期が遅いR1も含め、ザパティナス氏は監修した、とも言われている。

「今後はこういう軽を求める客も増えるはず」との目算だったが、非常に少数派に過ぎなかった。結局大惨敗を喫して、ともに2010年、生産中止となった。

ザパティナス氏は、北米で販売された「トライベッカ」のデザインも行ったが、その鮮烈なフォルムは、スバルに落ちてきた隕石のような異質さで、R1/R2同様、根付くことはなかった。
また、B9スクランブラーという意欲的な作品も発表するも市販化することはなく、トライベッカも販売不振……。2006年にスバルを退社し、のちにスプレッドウインググリルも廃止されたのでした。諸行無常……。

■スバルB11スクランブラー

2003年東京モーターショーで公開された2シータースポーツのB9スクランブラーはザパティナスの作品。市販化されることはなかった

アンドレアス・ザパティナス(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)。著名なカーデザイナーを多く輩出しているアメリカ・パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業後、1988〜1994年までフィアット・チェントロスティーレで働き、フィアット・バルケッタのチーフエクステリアデザイナーを務め、クーペ・フィアットやアルファロメオ145のデザインにも参画。1994年にはフィアットからBMWへ移ったクリス・バングルの後を追ってBMWへ移籍。1998年にはアルファロメオへ移籍し、チーフデザイナーを務めた後、2002年にスバルへ移籍。アドバンスデザイン担当チーフデザイナーに就任。B9トライベッカをはじめとするB9シリーズやR1(R1-e含む)のほか、スプレットウイングスグリルをスバル車に浸透させた。2006年7月にスバルを退社後、フリーとなり、現在は長安汽車のヨーロッパ・アドバンスドデザインオペレーションディレクター

■日産410ブルーバード/ピニンファリーナ

1963年9月に登場した410型ブルーバードはピニンファリーナによるデザイン

欧州調の尻下がりのデザインだったが、販売不調でコロナに抜かれたため、マイナーチェンジでデザインを変更した

ピニンファリーナといえば、フェラーリのデザインで世界一有名なカロッツェリアだが、日本車のデザインもいくつか手掛けている。

代表的なのは、1963年発売の2代目ブルーバード(410系)だ。初代に比べると明らかにモダンかつヨーロピアンな、美しい曲線を持っていたが、尻下がりのデザインが国内では大不評。ハイブロウすぎて、当時の日本人には理解できなかったのだ。

あまりの不評により、マイナーチェンジでは尻下がりのラインを修正する屈辱を味わった。

この失敗が尾を引いたのか、その後市販化されたピニンファリーナ・デザインの国産車は、思ったより少ない。

シティカブリオレは、ベースのシティの改修にすぎないし、パジェロピニンは、パジェロイオの欧州向け生産をピニンファリーナが担当していたことから、エクステリアの加飾部をリデザインしたにすぎない。

ホンダとの関係も深く、NSXの前身といわれるHP-Xコンセプトはピニンファリーナの作品。惜しまれるのは、ホンダのコンセプトモデル「アルジェント・ヴィーヴォ」だ。これは大変に美しい2シーターオープンスポーツで、いま見ても慄然とする。

同じ1995年に発表されたSSMではなく、仮にこちらがS2000のデザインベースになっていたら……と、夢想せずにはいられない。

■ホンダHP-Xコンセプト

NSXの前身といわれる1984年に発表されたホンダHP-Xコンセプトはピニンファリーナの作品

■ホンダ・アルジェントヴィーヴォ

1995年に東京モーターショーのホンダブースにてピニンファリーナから発表されたホンダ・アルジェントヴィーヴォ(イタリア語で流動する銀)。NSXから流用されたトランスミッションやサスペンションなどをピニンファリーナが独自設計し、2.5L、5気筒エンジンを搭載

セルジオ・ピニンファリーナ(1926年9月8日、イタリア・トリノ生まれ。2012年7月3日没)。セルジオ・ピニンファリーナ氏の父、ジョバンニ・バッティスタ・ファリーナによって1930年に設立されたカロッツェリア・ピニンファリーナ社。彼の愛称がピニンだったことからピニンファリーナという社名がつけられた。1930年代にはアルファロメオ、フィアットなどのデザインを手がけ、その後フェラーリから声がかかり、デザインを手がけるようになると、その名が大きく知れ渡ることになる。セルジオ・ピニンファリーナはトリノ工科大学の機械工学科を卒業後、1950年に父親が経営していたピニンファリーナ社に入り、1961年には父親に代わりCEOに就任。在任中はフィアットをはじめとする自動車メーカーの受託生産事業を拡大することで、一品製作を主体としていた従来型カロッツェリアからの脱皮を図った。2012年7月3日、自宅にて死去。享年85歳。 主な作品:フェラーリ/250GT、デイトナ、BB、ディーノ、テスタロッサ、288GTO、F40、F50,エンツォ、308、348、F355、360モデナ、458イタリア、456GT、550、612、FF。アルファロメオでは164、スパイダー、GTV。プジョーは306、406ほか

次ページは : ■2代目スバルレガシィ/オリビエ・ブーレイ

最新号

ベストカー最新号

【新型ランクルプラド 来年夏登場】新型86&BRZ初試乗!!|ベストカー8月26日号

本日、ベストカー8月26日号発売!! ランクルプラド、アルファードの次期型最新情報から、新型86&BRZ初試乗、シボレーコルベット公道初試乗など盛りだくさんの内容でお届けします!

カタログ