■初代ヴィッツ/ソリティス・コヴォス
初代ヴィッツは、当時トヨタに在籍していたギリシャ人デザイナー、ソティリス・コヴォスの作品。
初代ヴィッツが登場した時は、「これはトヨタの革命だ!」と打ち震えた。コロンとしたワンモーションのフォルムは、シンプルでいながら斬新で美しかった。インテリアも同じテイストで仕上げられ、安っぽさを逆に魅力に変えるセンスが光っていた。
こんな先進的なデザインを持つコンパクトカーが、カローラに迫るほど多く売れたのは、日本市場の革命だった。
それまで日本では、「カッコいい大衆車はあまり売れない」というジンクスがあった。理由は「目立ちすぎるから」。が、ヴィッツの大ヒットは、日本でもカッコいい大衆車が主流になれる良き前例となった。
コボス氏はその後、最終型ソアラ(レクサスSC430)のデザイン原案も手掛けた。ヴィッツと同じくワンモーションフォルムで、サイドラインにヴィッツとの共通点を見ることもできる。
北米では概して好評だったが、日本人にはどこか大味に見え、鳴かず飛ばずで終わった。あんこは少量なら甘くておいしいが、デカすぎるとくどく感じる……みたいなことだろうか。
いずれにせよ、デザインの好みには、国民性も大いに関係するのである。
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ソリティス・コヴォス(1965年、ギリシャ・アテネ・イリオン生まれ)。子供時代は船乗りになることが夢だったが、1981年にアテネのパティオン大学で社会学を学びながら、夜はクルマのデザインをスケッチしていた。最初にスケッチしたのはアクロポリスラリーを見た時からだったという。その後、ロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アート入学し、卒業後、ブリュッセルでトヨタヨーロッパにデザイナーとして就職。その後、トヨタとレクサスのヨーロッパデザイン部門のチーフデザイナーに就任、ヤリスやSC430などを手がける。その後、アウディのチーフエクステリアデザイナーとなり、個人デザイン事務所を設立。フランスの電気自動車バスや路面電車をはじめ、2002年にはニッポニアというスクーターやボート、自転車、家具など多方面にわたってデザインおよび設計を手がけている
■スバルR1、R2/アンドレアス・ザパティナス
■スバルR2

航空機をモチーフにしたスプレットウイングスグリルを採用したR2は2003年12月発売。マイナーチェンジでこのスプリットウイングスグリスは廃止された。4輪独立懸架を採用し、走りも定評があったが当時は軽ハイトワゴンブーム、販売はふるわなかった
■スバルR1
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スバルの問題作、R1、R2。販売的には目を覆うばかりの大失敗だったが、デザイン的には大変な意欲作で、特にR1に関して、故・前澤義雄氏(元日産チーフデザイナー)が絶賛したことは忘れられない。
この2台をデザインした人物こそ、アンドレアス・ザパティナス氏(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)である。
ザパティナス氏は、フィアットでバルケッタのデザインにかかわったのち、師であるクリス・バングルを追ってBMWへ。その後フィアットに復帰。そして2002年、スバルのチーフデザイナーにヘッドハンティングされた。
彼が真っ先にやったことは、「スプレッドウイングスグリル」の採用だったと言われる。ブランドには統一イメージが必要だというのは、当時徐々に常識になりつつあった。
2003年にR2が、2004年にはR1が発売。どちらも欧州車的な凝縮感が強いフォルムを持ち、フロントにはスプレッドウインググリルが輝いていたが、室内はライバルに比べるとケタはずれに狭く、軽としては驚くべきデザイン優先。
諸説あるが、実際に描いたのはチーフデザイナーの田中明彦氏で、ザパティナス氏がスバルに来た時には、R2のデザインがほぼ出来上がっていて、登場時期が遅いR1も含め、ザパティナス氏は監修した、とも言われている。
「今後はこういう軽を求める客も増えるはず」との目算だったが、非常に少数派に過ぎなかった。結局大惨敗を喫して、ともに2010年、生産中止となった。
ザパティナス氏は、北米で販売された「トライベッカ」のデザインも行ったが、その鮮烈なフォルムは、スバルに落ちてきた隕石のような異質さで、R1/R2同様、根付くことはなかった。
また、B9スクランブラーという意欲的な作品も発表するも市販化することはなく、トライベッカも販売不振……。2006年にスバルを退社し、のちにスプレッドウインググリルも廃止されたのでした。諸行無常……。
■スバルB11スクランブラー

アンドレアス・ザパティナス(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)。著名なカーデザイナーを多く輩出しているアメリカ・パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業後、1988〜1994年までフィアット・チェントロスティーレで働き、フィアット・バルケッタのチーフエクステリアデザイナーを務め、クーペ・フィアットやアルファロメオ145のデザインにも参画。1994年にはフィアットからBMWへ移ったクリス・バングルの後を追ってBMWへ移籍。1998年にはアルファロメオへ移籍し、チーフデザイナーを務めた後、2002年にスバルへ移籍。アドバンスデザイン担当チーフデザイナーに就任。B9トライベッカをはじめとするB9シリーズやR1(R1-e含む)のほか、スプレットウイングスグリルをスバル車に浸透させた。2006年7月にスバルを退社後、フリーとなり、現在は長安汽車のヨーロッパ・アドバンスドデザインオペレーションディレクター
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