■2代目スバルレガシィ/オリビエ・ブーレイ
歴代レガシィのなかでも、佳作的な存在の2代目。このデザインをまとめたのは、当時スバルのチーフデザイナーだったオリビエ・ブーレイ氏(1957年8月9日生まれ、フランス出身)である。
ブーレイ氏は、PSAプジョー・シトロエンやポルシェを経てメルセデス入りしたデザイナーだが、1989年にスバルに移籍し、3年間在職。日本の自動車メーカーで初のチーフデザイナーとなる。その間にリリースしたのが2代目レガシィなのだ。
2代目レガシィのデザインには、奇を衒ったような部分はないが、ヘッドライトとグリルの関係が奥深く端正で、全体にバランスのいいデザインだった。
ブーレイ氏はその後、メルセデスに戻ったが、三菱自工のダイムラー傘下入りと同時に三菱のデザイン部門のトップとして赴任。ブランド統一デザインとして、グランディスに代表される「ブーレイ顔」を導入した。
ところがこれは大不評。2004年には、早くもダイムラーが三菱との縁を切ったこともあり、ブーレイ氏もメルセデスに戻り、ブーレイ顔は三菱の負の遺産となった。
■三菱グランディス
グランディスのデザインを見ると、決してブーレイ顔が悪かったわけではないことがわかるが、既存モデル(ランサーなど)も無理にブーレイ顔に仕立てたことで、猛烈なブスになるモデルが続出、それがブーレイ顔全体の不評となって三菱の黒歴史となってしまったのでした。
こうして見ると、ジウジアーロ氏やピニンファリーナを除くと、国産車をデザインした外国人は、社内にいたケースが多い。
現在はグローバル化の時代で、国産メーカーも人材がグローバル化している。もはや自動車デザインにおいて、「これは日本人作、あっちは外国人作」というような色分けは不可能になってきた。もうそういう時代じゃないのだ。
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