なぜこんなにも美しいのか!!! 外国人デザイナーが手がけた美しい日本車6選

 イタリアのデザイン工房、イタルデザインが手がけた「日産GT-R50byイタルデザイン」が話題になったが、過去を遡ると海外デザイナーやデザイン会社が手がけた日本車の作品は数多い。

 そこで、これまで海外デザイナーが手がけた、美しい日本車を6台選出。そのクルマをデザインしたのはどんな人物だったのか、モータージャーナリストの清水草一氏が解説する。

文/清水草一
写真/ベストカー編集部、トヨタ、日産、ホンダ、スバル、三菱、Italdesign Giugiaro


■スバルアルシオーネSVX/ジョルジェット・ジウジアーロ

 かつて私は、国産車にはカッコ悪いデザインが多すぎることを嘆き、「日本人はデザインが苦手なんだから、デザインは外注に出せ! イタリア人にやらせろ!」などと、単純なことを吼えていた。

 が、仲間内での綿密な分業のもと、漆の重ね塗りのごとく、ひとつづつ作業を積み重ねてく日本人の感性からして、デザインだけが縁もゆかりもない雲上界から降りてくることには強い反発があり、なかなか難しいようだ。

 かつ、現代は安全性確保との超複雑な関連もあって、今や自動車デザインは社内で行うのがアタリマエ。社外デザイナーやカロッツェリアは使わないのが、世界の定番となった。

 が、それでもこれまでにかなりの数、外国人デザイナーがデザインした国産車が発売されている。

 それらは玉石混交で、「外国人にデザインさせればカッコよくなる」なんて単純なものではないことがわかるが、それらをいくつか紹介していこう。

1991年9月にデビューしたアルシオーネSVX。27年前に登場したとは思えないデザイン

 真っ先に挙げたのが、アルシオーネSVXは、史上最高の自動車デザイナーとの誉れ高い、ジョルジェット・ジウジアーロ氏(1938年、イタリア・ガレッシオ生まれ)によるデザインである。

 見た瞬間誰もが、「これが本当に市販車なのか!?」と目を疑った。最大の特徴は、分割されて一部のみが開くサイドウィンドウだが、これはサイドガラスがルーフ部まで回り込む構造のためである。

 もうちょっとウィンドウ開閉部を大きくすることもできただろうが、あえて美しくわかりやすく分割することで、見るものに強いインパクトと、スペシャル感を与えることに成功している。

 フォルム全体としては、サイドラインを二重構造として、サイドウィンドウの一部の下段まで広げることで、側方視界を確保しつつ、複層的な美しさを実現している。

 アルシオーネSVXは、販売的には大失敗に終わったが、デザイン的には現在も超名作として語り継がれている。まさにジウジアーロ氏の面目躍如だが、彼のデザインコンセプトを本気で実現した当時のスバル技術陣の奮闘にも、深い敬意を表したい。

これほどデザインに特化した日本車は珍しい。もともとのイイタルデザインのスケッチを見ると、グラスキャノピーが想定したところを量産化にあたり、ブラックアウトしたルーフとトランクが与えられた

■オリジナルデザインはリトラクタブルヘッドライトだった!

ジウジアーロのオリジナルデザインでは、SVXは固定式ヘッドライトではなく、ハーフリトラクタブル(格納式)ヘッドライトとなっている。社内ではジウジアーロのオリジナルデザインを推すグループと、(格納式だった)初代アルシオーネの失敗による呪縛を解きたいグループによって議論が交わされたそうだが、結局コスト高という理由で固定式に決まったという

■いすゞ117スポーツ(後の117クーペ)

1966年、ジョルジョット・ジウジアーロがカロッツェリア・ギアのチーフデザイナー時代に描いた、117スポーツ。後にこれが117クーペとなる

 ジウジアーロ氏はこのほかに、いすゞ117クーペと初代ピアッツァ、日産の初代マーチ、ダイハツの初代ムーヴ、トヨタの初代アリストのデザインも手がけている。

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■アッソ・ディ・フィオーリ(後のピアッツァ)

1979年に発表されたアッソ・ディ・フィオーリ(いすゞがレストアを施し、現在保有)。これが後にピアッツァになるがボディパネルがひとつも同じものがない

 117クーペとピアッツァは、SVXと並ぶ傑作で、今でも光り輝いているが、初代マーチは見るからに凡庸で、どこでどう間違ってこうなったのか? と思わざるを得ない。

 初代ムーヴも、「これがジウジアーロ? 嘘だろ」という感じだ。初代アリストは決して悪くないが、傑作というほどではない。

 クルマというのは、デザインスケッチがtどんなに優れていても、それをどこまで具現化するかにかかっているのだと思い知らされる。

 ちなみにイタルデザインは2010年にVW傘下に入っているが、2015年、ピエヒ会長やチーフデザイナー、ワルター・デ・シルヴァがVWが離れた時を同じくして、ジウジーロは保有株式を売却し、経営から退いた。現在は息子のファブリツィオ氏と新たに立ち上げたGFGスタイルという会社で、デザイナーとして活躍している。

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■初代マーチ

初代マーチはジウジーロが売り込んできたデザインで、車両のレイアウト設計まで手がけていたことに当時の日産関係者は感心したという

ジウジアーロがデザインした初代マーチのスケッチ画。量産型とあまり似ていないが……

ジョルジェット・ジウジアーロ(1938年8月7日、ガレッシオ生まれ)。祖父、父とも宮殿・教会の装飾画家だったことから、その影響を受けトリノの美術学校を卒業。たまたま描いたフィアット・500のイラストがその設計者ダンテ・ジアコーサに高く評価され、高校を中退して1955年、17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社。1959年、イタリアのカロッツェリアベルトーネの総帥ヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、ベルトーネのチーフスタイリストとなる。1968年、30歳の時に、宮川秀之とともに新会社イタルデザイン社を発足。1982年には自動車分野以外の製品をデザインするジウジアーロ・デザイン社を興し、産業デザイン界を一世風靡する。 2010年、ジウジアーロ率いるイタルデザインはVWグループ傘下に入ったが、2015年にピエヒ会長、VWグループのデザイントップ、ワルター・デ・シルヴァが退任したほぼ同じ時期に、ジウジーロはイタルデザインの保有株式を売却し、新たなデザイン会社GFGスタイルを息子のファブリツィオとともに設立。現在でもカーデザイナーを続けている。2018年3月のジュネーブショーでは電動セダンをSibyllaを発表している。 代表作品はとても紹介しきれないため、主な日本車を挙げておこう。ベルトーネ時代は初代マツダ・ルーチェ、ギア時代は117クーペ、イタルデザイン設立後はアッソ・ディフィオーリ(ピアッツァ)、2代目FFジェミニ、スズキフロンテクーペ、スズキキャリィ、スズキSX4(セデッチ)、2代目ムーヴ、初代パブリカ・スターレット、5代目カローラ、初代アリストほか

■初代ヴィッツ/ソリティス・コヴォス

1999年1月に発売された初代ヴィッツ(欧州名:ヤリス)。新世代のコンパクトカーとして衝撃を与えた

 初代ヴィッツは、当時トヨタに在籍していたギリシャ人デザイナー、ソティリス・コヴォスの作品。

 初代ヴィッツが登場した時は、「これはトヨタの革命だ!」と打ち震えた。コロンとしたワンモーションのフォルムは、シンプルでいながら斬新で美しかった。インテリアも同じテイストで仕上げられ、安っぽさを逆に魅力に変えるセンスが光っていた。

 こんな先進的なデザインを持つコンパクトカーが、カローラに迫るほど多く売れたのは、日本市場の革命だった。

 それまで日本では、「カッコいい大衆車はあまり売れない」というジンクスがあった。理由は「目立ちすぎるから」。が、ヴィッツの大ヒットは、日本でもカッコいい大衆車が主流になれる良き前例となった。

 コボス氏はその後、最終型ソアラ(レクサスSC430)のデザイン原案も手掛けた。ヴィッツと同じくワンモーションフォルムで、サイドラインにヴィッツとの共通点を見ることもできる。

 北米では概して好評だったが、日本人にはどこか大味に見え、鳴かず飛ばずで終わった。あんこは少量なら甘くておいしいが、デカすぎるとくどく感じる……みたいなことだろうか。
 いずれにせよ、デザインの好みには、国民性も大いに関係するのである。

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ヴィッツの前身、コンセプトカー段階のファンタイム。ヴィッツの市販される2年前、1997年10月の東京モーターショーで公開

ソティリス・コヴォス氏による初代ヴィッツのスケッチ。ほぼ市販型に近いイメージ

ソリティス・コヴォス(1965年、ギリシャ・アテネ・イリオン生まれ)。子供時代は船乗りになることが夢だったが、1981年にアテネのパティオン大学で社会学を学びながら、夜はクルマのデザインをスケッチしていた。最初にスケッチしたのはアクロポリスラリーを見た時からだったという。その後、ロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アート入学し、卒業後、ブリュッセルでトヨタヨーロッパにデザイナーとして就職。その後、トヨタとレクサスのヨーロッパデザイン部門のチーフデザイナーに就任、ヤリスやSC430などを手がける。その後、アウディのチーフエクステリアデザイナーとなり、個人デザイン事務所を設立。フランスの電気自動車バスや路面電車をはじめ、2002年にはニッポニアというスクーターやボート、自転車、家具など多方面にわたってデザインおよび設計を手がけている

■スバルR1、R2/アンドレアス・ザパティナス

■スバルR2

航空機をモチーフにしたスプレットウイングスグリルを採用したR2は2003年12月発売。マイナーチェンジでこのスプリットウイングスグリスは廃止された。4輪独立懸架を採用し、走りも定評があったが当時は軽ハイトワゴンブーム、販売はふるわなかった

■スバルR1

2004年12月に発表されたR1。2+2の4シーターだが後席はミニマム。乗り味は軽とは思えないほど上質でデザイン含め今でもファンが多い

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 スバルの問題作、R1、R2。販売的には目を覆うばかりの大失敗だったが、デザイン的には大変な意欲作で、特にR1に関して、故・前澤義雄氏(元日産チーフデザイナー)が絶賛したことは忘れられない。

 この2台をデザインした人物こそ、アンドレアス・ザパティナス氏(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)である。

 ザパティナス氏は、フィアットでバルケッタのデザインにかかわったのち、師であるクリス・バングルを追ってBMWへ。その後フィアットに復帰。そして2002年、スバルのチーフデザイナーにヘッドハンティングされた。

 彼が真っ先にやったことは、「スプレッドウイングスグリル」の採用だったと言われる。ブランドには統一イメージが必要だというのは、当時徐々に常識になりつつあった。

 2003年にR2が、2004年にはR1が発売。どちらも欧州車的な凝縮感が強いフォルムを持ち、フロントにはスプレッドウインググリルが輝いていたが、室内はライバルに比べるとケタはずれに狭く、軽としては驚くべきデザイン優先。

 諸説あるが、実際に描いたのはチーフデザイナーの田中明彦氏で、ザパティナス氏がスバルに来た時には、R2のデザインがほぼ出来上がっていて、登場時期が遅いR1も含め、ザパティナス氏は監修した、とも言われている。

「今後はこういう軽を求める客も増えるはず」との目算だったが、非常に少数派に過ぎなかった。結局大惨敗を喫して、ともに2010年、生産中止となった。

 ザパティナス氏は、北米で販売された「トライベッカ」のデザインも行ったが、その鮮烈なフォルムは、スバルに落ちてきた隕石のような異質さで、R1/R2同様、根付くことはなかった。
 また、B9スクランブラーという意欲的な作品も発表するも市販化することはなく、トライベッカも販売不振……。2006年にスバルを退社し、のちにスプレッドウインググリルも廃止されたのでした。諸行無常……。

■スバルB11スクランブラー

2003年東京モーターショーで公開された2シータースポーツのB9スクランブラーはザパティナスの作品。市販化されることはなかった

アンドレアス・ザパティナス(1957年、ギリシャ・アテネ生まれ)。著名なカーデザイナーを多く輩出しているアメリカ・パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業後、1988〜1994年までフィアット・チェントロスティーレで働き、フィアット・バルケッタのチーフエクステリアデザイナーを務め、クーペ・フィアットやアルファロメオ145のデザインにも参画。1994年にはフィアットからBMWへ移ったクリス・バングルの後を追ってBMWへ移籍。1998年にはアルファロメオへ移籍し、チーフデザイナーを務めた後、2002年にスバルへ移籍。アドバンスデザイン担当チーフデザイナーに就任。B9トライベッカをはじめとするB9シリーズやR1(R1-e含む)のほか、スプレットウイングスグリルをスバル車に浸透させた。2006年7月にスバルを退社後、フリーとなり、現在は長安汽車のヨーロッパ・アドバンスドデザインオペレーションディレクター

■日産410ブルーバード/ピニンファリーナ

1963年9月に登場した410型ブルーバードはピニンファリーナによるデザイン

欧州調の尻下がりのデザインだったが、販売不調でコロナに抜かれたため、マイナーチェンジでデザインを変更した

 ピニンファリーナといえば、フェラーリのデザインで世界一有名なカロッツェリアだが、日本車のデザインもいくつか手掛けている。

 代表的なのは、1963年発売の2代目ブルーバード(410系)だ。初代に比べると明らかにモダンかつヨーロピアンな、美しい曲線を持っていたが、尻下がりのデザインが国内では大不評。ハイブロウすぎて、当時の日本人には理解できなかったのだ。

 あまりの不評により、マイナーチェンジでは尻下がりのラインを修正する屈辱を味わった。

 この失敗が尾を引いたのか、その後市販化されたピニンファリーナ・デザインの国産車は、思ったより少ない。

 シティカブリオレは、ベースのシティの改修にすぎないし、パジェロピニンは、パジェロイオの欧州向け生産をピニンファリーナが担当していたことから、エクステリアの加飾部をリデザインしたにすぎない。

 ホンダとの関係も深く、NSXの前身といわれるHP-Xコンセプトはピニンファリーナの作品。惜しまれるのは、ホンダのコンセプトモデル「アルジェント・ヴィーヴォ」だ。これは大変に美しい2シーターオープンスポーツで、いま見ても慄然とする。

 同じ1995年に発表されたSSMではなく、仮にこちらがS2000のデザインベースになっていたら……と、夢想せずにはいられない。

■ホンダHP-Xコンセプト

NSXの前身といわれる1984年に発表されたホンダHP-Xコンセプトはピニンファリーナの作品

■ホンダ・アルジェントヴィーヴォ

1995年に東京モーターショーのホンダブースにてピニンファリーナから発表されたホンダ・アルジェントヴィーヴォ(イタリア語で流動する銀)。NSXから流用されたトランスミッションやサスペンションなどをピニンファリーナが独自設計し、2.5L、5気筒エンジンを搭載

セルジオ・ピニンファリーナ(1926年9月8日、イタリア・トリノ生まれ。2012年7月3日没)。セルジオ・ピニンファリーナ氏の父、ジョバンニ・バッティスタ・ファリーナによって1930年に設立されたカロッツェリア・ピニンファリーナ社。彼の愛称がピニンだったことからピニンファリーナという社名がつけられた。1930年代にはアルファロメオ、フィアットなどのデザインを手がけ、その後フェラーリから声がかかり、デザインを手がけるようになると、その名が大きく知れ渡ることになる。セルジオ・ピニンファリーナはトリノ工科大学の機械工学科を卒業後、1950年に父親が経営していたピニンファリーナ社に入り、1961年には父親に代わりCEOに就任。在任中はフィアットをはじめとする自動車メーカーの受託生産事業を拡大することで、一品製作を主体としていた従来型カロッツェリアからの脱皮を図った。2012年7月3日、自宅にて死去。享年85歳。 主な作品:フェラーリ/250GT、デイトナ、BB、ディーノ、テスタロッサ、288GTO、F40、F50,エンツォ、308、348、F355、360モデナ、458イタリア、456GT、550、612、FF。アルファロメオでは164、スパイダー、GTV。プジョーは306、406ほか

■2代目スバルレガシィ/オリビエ・ブーレイ

1993年10月に登場した2代目レガシィはオリビエ・ブーレイ氏のデザイン

 歴代レガシィのなかでも、佳作的な存在の2代目。このデザインをまとめたのは、当時スバルのチーフデザイナーだったオリビエ・ブーレイ氏(1957年8月9日生まれ、フランス出身)である。

 ブーレイ氏は、PSAプジョー・シトロエンやポルシェを経てメルセデス入りしたデザイナーだが、1989年にスバルに移籍し、3年間在職。日本の自動車メーカーで初のチーフデザイナーとなる。その間にリリースしたのが2代目レガシィなのだ。

 2代目レガシィのデザインには、奇を衒ったような部分はないが、ヘッドライトとグリルの関係が奥深く端正で、全体にバランスのいいデザインだった。

 ブーレイ氏はその後、メルセデスに戻ったが、三菱自工のダイムラー傘下入りと同時に三菱のデザイン部門のトップとして赴任。ブランド統一デザインとして、グランディスに代表される「ブーレイ顔」を導入した。

 ところがこれは大不評。2004年には、早くもダイムラーが三菱との縁を切ったこともあり、ブーレイ氏もメルセデスに戻り、ブーレイ顔は三菱の負の遺産となった。

■三菱グランディス

ダイムラー傘下だった三菱でオリビエ・ブーレイが手掛けたグランディス。三菱のアイデンティティとするべく取り入れられたブーレイ顔はランエボにまで装着されたが、ダイムラーとの関係解消でなくなった

 グランディスのデザインを見ると、決してブーレイ顔が悪かったわけではないことがわかるが、既存モデル(ランサーなど)も無理にブーレイ顔に仕立てたことで、猛烈なブスになるモデルが続出、それがブーレイ顔全体の不評となって三菱の黒歴史となってしまったのでした。

オリビエ・ブーレイ(1957年8月9日、フランス生まれ) 。1981年PSAプジョーシトロエン先行デザイン、1982年I.DE.Aに移籍し、ティーポ3プロジェクト(後のフィアット・ティーポ、アルファロメオ155、ランチア・デドラ)を手掛ける。1984〜1986年ポルシェ、1987年ダイムラーに移籍し、メルセデスベンツSクラス(W140)、Cクラス(W202)のエクステリアデザインに参画。1989年富士重工業に移籍し、日本の自動車メーカーで初の日本人チーフデザイナーに就任し、2代目レガシィを担当。1992年ダイムラーに再び戻り、マイバッハ57、62の先行デザイン担当し、その後ダイムラークライスラーの先行デザインスタジオのゼネラルマネージャーとなり、2001年ダイムラークライスラー傘下の三菱自動車のデザイン部門トップに。グランディスやコルト、ランサーなど、ファミリーフェイスを推進(いわゆるブーレイ顔)。2004年、三菱と提携解消後はダイムラーの先行デザインスタジオに帰任、2009年から北京にあるダイムラー先行デザインセンターを率いている

 こうして見ると、ジウジアーロ氏やピニンファリーナを除くと、国産車をデザインした外国人は、社内にいたケースが多い。

 現在はグローバル化の時代で、国産メーカーも人材がグローバル化している。もはや自動車デザインにおいて、「これは日本人作、あっちは外国人作」というような色分けは不可能になってきた。もうそういう時代じゃないのだ。

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