「GT-R」を名乗れなかったスカイラインと「スカイライン」を捨てたGT-R

■史上最強のスカイラインなのにGT-Rを名乗れなかった理由

1981年8月に登場した6代目のR30スカイライン。デビュー2カ月後に、日産としては8年ぶりのDOHCエンジン、2L直4、16バルブのFJ20E型エンジンを搭載した2000RSが追加。 そのFJ20Eにターボを装着、最高出力が150psから190psに向上したFJ20ETを積んだモデルが、「史上最強のスカイライン」という看板を掲げて1983年2月に登場した2000ターボRSである。半年後には 鉄仮面と呼ばれる独自のマスクを与えられ、豪華装備のターボRS-Xも設定された。さらに翌1984年2月にはターボに空冷式インタークーラーを装着し205ps/25.0kgmまで高めた2000ターボインタークーラーRS/RS-X(ターボC)に発展した

 この時期から7代目のR31系まで、スカイライン開発の中心的なリーダーとなったのが櫻井眞一郎さん(2011年1月17日逝去)だ。

 GTのパワーユニットは直列6気筒エンジン、サスペンションは4輪独立懸架を基本とするようになった。GT-Rはスカイラインの2ドアハードトップをベースにした高性能版で、専用エンジンに5速MTの組み合わせとする。

 この時期に「超弩級の性能を持つクルマでないとGT-Rを名乗らない」ことが暗黙の了解となったのだ。

櫻井眞一郎/1929年4月3日生まれ、2011年1月17日逝去。1957年に開発された初代からスカイラインの開発に関わり、2代目S50系の途中から開発責任者となり、7代目R31型途中に病に倒れ伊藤修令氏にバトンタッチするまで開発の陣頭指揮を執った

 生前、櫻井眞一郎さんは、

「生半可な性能のクルマではGT-Rとは呼べないんです。時代の先端を行くメカニズムを採用し、ライバルを圧倒するクルマでないとGT-Rは名乗れません。

 復活の声が何度も出ますが、安売りしちゃいけないと思います。それにスカイラインのフラッグシップだから直列6気筒DOHCエンジンは必須で、4気筒エンジンじゃダメなんです。

 6代目のR30の時に送り出したFJ20型DOHC4バルブエンジン搭載車は飛び抜けて高性能でした。ターボは史上最強を謳っていましたが、直列4気筒エンジンなのでRSなんです」

 と語っている。これに続く7代目のR31系スカイラインは、パワーユニットやステアリング形式を一新した。この時、レースでの公認を取得するために送り出したスカイラインGTS-Rも、R30スカイラインRSに続いてGT-Rを名乗れなかったスカイラインである。

■実力不足だったためGT-Rの名を付けなかったスカイラインGTS-R

1987年8月に限定800台、340万円で販売されたスカイラインGTS-R。専用ボディカラーのブルーブラック、固定式フロントスポイラー、プロジェクターヘッドランプ、FRP製大型リアスポイラー、ストラットタワーバー、イタルボランテ製3本スポーク本革巻きステアリング、モノフォルムバケットシ-トなどを装備した

 スカイラインGTS-Rは、グループAレースのホモロゲーションモデルとして、全国限定800台で販売された。RB20DET型をベースに大型のギャレットエアリサーチ社製T04E型ハイフローターボチャージャーや表面積をベース比で約5.5倍に拡大した空冷式インタークーラー、専用セッティングの電子制御燃料噴射装置(ECCS)、排気効率を高めたステンレス材等長エグゾーストマニホールド、ベース比で約10%軽量化したフライホイールなどを組み込んだ専用のRB20DET-R型エンジンを搭載し、210ps/25.0kgmを誇った。エンジンにRの名が付いているのがなんとも寂しい。

 レースの舞台でのGTS-Rは、熟成が進んだ1989年シーズンの全日本ツーリングカー選手権(JTC)で長谷見昌弘選手がドライバーズタイトルを獲得している。

 ではこのGTS-RはなぜGT-Rを名付けなかったのか? かつて、R30スカイラインのRS登場の時、櫻井氏が6気筒じゃないとGT-Rを名乗れないと語っていたが、このGTS-Rは6気筒だからその資格は充分あった。

 GT-Rを名乗らなかったのは、この2年後にデビューするR32GT-Rを開発中だったからである(後述)。少し話を戻すが、後にR32GT-Rの開発責任者となる、櫻井眞一郎氏の一番弟子、伊藤修令氏は、かつて私にこう話してくれた。

「R30スカイラインRSターボが参戦しているインターTECを見に行った時、ボルボなどヨーロッパのマシンに太刀打ちできなかっただけでなく、他メーカーの日本車より順位は下で、惨敗でした。その時、次期型スカイラインでは絶対にGT-Rを復活させて、ブッチ切りの速さで連戦連勝してやるぞと思いました。

 櫻井さんが入院され、R31スカイラインの開発主管になったのは運輸省に届け出をするタイミングでした。実はこの時、GT-Rバッジを付けたR31クーペの試作車があったのです。

 この時、櫻井さんが入院されていたので、引き継ぎはうまくできませんでしたが、やはりGT-Rはほかを圧倒する性能がなければいけないと考えていたので、GT-Rではなく、GTSと名付けました。

 ジャパンやニューマン(R30)の時にもGT-Rを出してほしいと、みなに言われていたので櫻井さんはR31開発時にGT-R構想を立てていたのでしょう。

 R31スカイラインGTS-Rは、まだボクの思い描く、ほかを寄せ付けないほど速いGT-Rとは、ほど遠かったのです。やはりGT-Rの名を復活させるのは、次期R32と決めていて、全精力を開発に注いでいました。しかしGTS-RはR32GT-Rのよい教科書になりました」

伊藤修令/1937年3月7日生まれ。車両開発をほぼ終えていた7代目R31型から櫻井眞一郎氏の病により急遽開発責任者となる。その後、1989年5月に発売されたR32型スカイライン、1989年8月に登場したR32GT-Rの開発責任者として辣腕を奮った

 年号が平成に変わった1989年8月、16年ぶりにスカイラインGT-Rの名を冠した超高性能モデルが復活する。8代目のR32型スカイラインの指揮を執ったのは伊藤修令さんだ。

 ヨーロッパのスポーツモデルを凌駕する、洗練された走りを開発目標に掲げ、開発を行った。そのイメージリーダーとして開発されたのがR32型GT-Rである。

 歴代のスカイラインは2Lの排気量にこだわり続けてきた。だが、平成のGT-RはグループAレースを制するために排気量を2.6Lまで拡大している。

 エンジンは2568ccのRB26DETT型直列6気筒DOHC4バルブで、セラミックタービンを組み込んだツインターボを装着した。パワースペックは280ps/36.0kgmだ。トランスミッションは大容量の5速MTを組み合わせている。

 サスペンションは4輪ともマルチリンクとした。駆動方式は後輪駆動のFRではなく電子制御トルクスプリット4WD(アテーサE-TS)だ。グループAカーによるレースで勝つために排気量は2Lオーバーとし、駆動方式もスカイライン初のフルタイム4WDとした。

 R32GT-Rには以下のような裏話がある。実は1986年3月のR32スカイラインの基本プランを提示した時にはなかったが、急遽GT-Rの開発構想を加え、同年7月の経営会議で提案し、承認されたという。

 当初、GT-Rの開発計画がなかったのは、1985年のプラザ合意の円の切り上げにより輸出産業が大打撃を被り、新車開発の予算確保が厳しくなったため、最初から提案したのでは蹴られてしまう恐れがあったから、少し時間をおいて、R32開発が正式に決定される経営会議で初めて提案したという。

 その時、通しやすくするように当時、高性能を謳っていたソアラを仮想的に掲げGT-Rの誕生で、「ソアラのイメージを陳腐化させることができます」とプレゼンしたそうだ。

 また、当初、エンジン排気量は中近東向けの2.4Lだったが、最終的には2.6Lとなり、最高出力は315psだったが、8000rpmからの伸びがないと、開発テストドライバーの加藤博義氏に指摘され、インテークマニホールドを400mmから260mmへ短くして対応して、高回転まで気持ちよく回るようになった。その時の出力は310psは出ていたそうだが、自主規制により280psに抑えられてしまった。

 R32型GT-Rの開発主管を務めた伊藤修令さんは、

「グループAカーレースで勝つために2.6Lの専用エンジンを開発しました。600psまでパワーアップしても壊れないエンジンを設計してもらいましたが、後輪駆動では持て余すので4輪駆動としています。

 速い段階からGT-Rの名を使おうと思い、ポルシェなどを意識しながら性能的に満足できるクルマに仕立てました。レースでも4年間は王座を明け渡さないほど高いポテンシャルを秘めたクルマにしたんです。常勝を要求されるのがGT-Rですからね」

 と、その狙いを述べている。GT-Rは、櫻井眞一郎さん、伊藤修令さんの言葉通り、ほかを圧倒的な性能を持っていないとGT-Rと名付けられないのである。

 R32型GT-Rは1995年1月、後継のR33型GT-Rに主役の座を譲った。スカイラインとしては初めて基準車も3ナンバー枠に踏み込んでいる。心臓は改良型のRB26DETT型直列6気筒DOHCツインセラミックターボだ。アテーサE-TS、スーパーHICASも受け継いでいる。

 1997年の第32回東京モーターショーに4ドアボディのR33型GT-Rを参考出品し、翌1998年1月にスカイライン生誕40周年を記念して送り出された4ドアの「GT-Rオーテックバージョン40thアニバーサリー」を送り出した。が、これはイレギュラーで、基本はスカイラインの2ドアハードトップをベースにした高性能モデルがGT-Rだ。

 R33型GT-Rを手がけた渡邉衡三さんは、次のR34型GT-Rの主管も務めている。デビューするのは1999年1月8日だ。最強のロードゴーイングカーを目指し、開発された。

 商品コンセプトは、R33型GT-Rと同じ『究極のドライビングプレジャーの追求』である。メカニズムは正常進化だ。パワーユニットは改良型のRB26DETT型直列6気筒DOHCツインセラミックターボだが、ミッションはゲトラグ社製の6速MTになる。

 R32型以降のGT-Rに渡邉衡三さんとともに深く関わっていたのが、モータースポーツの世界に身を置いてきた水野和敏さんだ。V型6気筒エンジン搭載の新世代GT-Rを提案したが、上層部が難色を示したので、それまでのものを玉成させ、送り出している。

 R32型以降、3代10年以上にわたってGT-Rのメカニズムには大きな変更がない。そして排ガス対策と燃費規制が厳しくなった2002年夏にGT-Rは生産を打ち切っている。

 その後、第1期と同じように空白の時間があった。だが、2000年秋の第35回東京モーターショーに「GT-Rコンセプト」を参考出品している。

 会場で日産のCEOに就任したカルロス・ゴーンさんは「次期GT-Rを開発し発売する」と明言し、期待を抱かせた。

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