マツダという自動車会社は他の会社とは異なり、その技術や製品展開も少し独特なものを感じる。
近年では魂動デザインをはじめ2019年登場予定のSKYACTIV X技術、過去にはRX-7やAZ-1、ロードスターなどオリジナリティの高いスポーツカーを生み出し続けている。
なぜ日本の一地方都市である広島から、マツダのような企業が生まれたのだろうか?たしかに規模としてはトヨタなどのような巨大企業ではないが、だからといって小回りが凄く効く中小企業ではない。
なぜマツダは「マツダらしさ」を維持できるのだろうか?
文:鈴木直也/写真:ベストカー編集部
■「それが広島の県民性じゃけぇ」がマツダの合言葉?
自由奔放といえば聞こえはいいが、時として破天荒あるいはしっちゃかめっちゃか。マツダのクルマ造りや社風は、日本はもちろん世界的に見てもきわめてユニークだ。
ぼく自身、昔からこのマツダのユニークなキャラクターの由来には大いに興味を持っている。
機会あるごとに関係者に「どうしてマツダってこうなんですか?」と尋ねているのだが、「それが広島の県民性じゃけぇ」みたいなことを言う人が多い。
たしかに、マツダは創業以来広島という地方都市に本拠を構えていて、その特殊なローカル性の影響は少なくない。
ご存知のとおり、1945年8月6日に広島は原爆によって焼け野原と化し、マツダも多くの社員とその家族を失っている。
しかし、そんな厳しい状況にありながらも、広島復興のきっかけを作ったのもマツダだった。
府中工場の敷地を臨時の広島県庁舎として提供するとともに、被災後わずか4カ月で3輪トラックの製造を再開。
行政・経済・復興の大黒柱として奮闘する。マツダが存在しなかったら広島の戦後復興はどれだけ遅れていたかわからない。
そういわれるほど、マツダと広島は切っても切れない関係なのだ。
もうひとつ、実質的な創業者松田恒次さんのベンチャー精神も、マツダにDNAに大きな影響を与えている。
1960年代はじめ、マツダはまだ地方の3輪トラックメーカーにすぎなかったが、西独NSUのフェリックス・ヴァンケル博士が発明したロータリーエンジンの技術ライセンスを取得。
山本健一さん(六代目社長)をチーフとして実用化を目指すチャレンジが始まる。
モノになるかどうかわからないロータリーエンジンに社運を掛けるという時点で、ベンチャー精神あふれるアグレッシブな経営なのだが、こういう「少ないチャンスに賭けて成り上がる!」という“アニマルスピリッツ”がマツダにはある。
おそらく、その背景には「地方で平凡なクルマ造りをやっていても、どうせ行く末はどこかのメーカーの傘下になるのがオチ」という危機感があったのだろう。
それが「だったら一発勝負してやる!」という発想になるのがマツダ。これが、いい意味でも悪い意味でもマツダの運命を左右することになる。
さらに、こういうちょっと変わった社風の会社ゆえに、社員も変わった人が集まるという傾向がある。
よく知られているとおり、ロータリーエンジンの実用化に向けた開発には幾多のトラブルが立ちふさがり、リーダーの山本健一さんを中心とした47人のチームは、それこそ必死の思いで技術的な困難に立ち向かうことになる。
俗にいうロータリー四十七士のこのエピソードは、まさに忠臣蔵の世界なんだけど、日本人ならそこについホロリとせずにはいられない。
ロータリーエンジンはマツダにとって大きな利益をもたらすプロジェクトではなかったが、それでも「人間を育てる」という大事な側面があったことは見逃せない。
つまるところ、赤字の会社はどこかで資金調達ができれば救えるが、人間がいなくなったその会社は終わり。
この「人間を育てる」という伝統が、今日に至るまでマツダのもっとも重要な活力源なのではなかろうか。
そんなことを当事者に聞くと「ほりゃあ、成績優秀な人はまずトヨタや日産へゆくでしょう。ワシらはそういうところへ行けんかった落ちこぼれじゃけん」と呵々大笑する。
だけれどそういう野武士集団だからこそ面白いクルマを造れる。そういう理解も成り立つのだ。
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