同メーカーなのに売ってるクルマが違う!! 多チャンネル販売の功罪

■マツダ マツダ/アンフィニ/ユーノス/オートザム/オートラマ

マツダは1980年代の前半に、従来のマツダ店に加えて、フォードブランドのマツダ車を扱うオートラマ店を発足させた。この後、1980年代の後半から1990年に掛けて3系列を加え、5系列に急増させている。各販売チャンネルが、それぞれ姉妹車を扱った。

例えばマツダ店が売るミドルサイズセダンのマツダクロノスには、アンフィニブランドとしてセダンのMS‐8と5ドアハッチバックのMS‐6があり、ユーノスブランドは5ナンバーセダンのユーノス500を用意した。オートザムにはセダンのクレフ、オートラマはセダンと5ドアハッチバックのフォードテルスターという具合だ。アンフィニやユーノスの車両には、マツダの社名は入っていない。

姉妹車を造り分けるために、販売現場は多忙をきわめた。当時を知るマツダの開発者に姉妹車の話をすると、全員が例外なく顔を曇らせる。

1989年に開催された東京モーターショーの会場で、私はマツダの重役に話し掛けた。「なぜここまで急いで販売チャンネルを増やすのか。消費者の認知が追い付かない。今のままではマツダの国内販売チャンネルはすべて共倒れになる」

すると重役は私の不躾な進言に不快感をあらわにしながら、

「クルマの売れ行きは販売チャンネルの数に比例する。その数を増やせば、クルマの売れ行きは必ず伸びる」

と返答した。

1990年にはマツダの国内販売は59万台に達して重役の言葉通りになったが、1991年には55万台、1992年には48万台に下がり、マツダは販売チャンネルを撤廃させた。

ほかのメーカーは販売チャンネルを利用して売れ行きを伸ばし、撤廃して販売台数を落としている。しかしマツダは販売チャンネルの整備で失敗する異例の事態を招いた。マツダはあらゆる点でユニークなメーカーだ。

■ホンダ クリオ/ベルノ/プリモ

ホンダは4輪車の進出に当たり、メカニズムが凝っていることもあって、ホンダSF(サービスファクトリー)を展開した。販売した後で、行き届いた点検や整備を行えることを重視した。

しかし販売チャンネルが1つでは限界があり、1978年にプレリュードの発売と合わせてベルノ店を発足させた。この販売チャンネルでは、インテグラ、NSXなどを含めてスポーティカーを多く扱った。

1984年にはクリオ店が設けられ、アコード、インスパイア、レジェンドなどの上級車種を売った。1985年にはシビックや軽自動車を販売するプリモ店も発足した。

しかし2006年から、ホンダカーズへの切り換えが開始され、全店が全車を売るようになった。これに伴い、上級車種やスポーティカーが販売を下げていった。今では軽自動車の販売比率が約半数に達する。

■三菱 ギャラン/カープラザ

1978年にコンパクトカーのミラージュを発売した。これに伴ってカープラザ店を設けている。ギャランをベースにしたエテルナを用意するなど、姉妹車が多かった。2000年代に入ると廃止されている。

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