あの「名車」が日本を見限った瞬間 6選

 クルマ好きには悲しい話だが、かつての人気車がフルモデルチェンジを繰り返す間に海外向けになり、日本のユーザーから離れて売れ行きを落とすことが多い。日産スカイライン、ホンダシビック、スバルレガシィなどは、いずれもかつては憧れの存在だったり、「気の合う仲間」のようなクルマだった。それが今では海外向けになり、日本のユーザーの心を離れている。

 本企画ではそんな、「かつて日本人のために作られ、日本人に愛されてきたのに、いつしか海外を中心に見据えて日本をあまり見なくなり、結果的に日本人からも支持されなくなっているクルマ」を取り上げたい。これらのクルマは、いったいいつから日本市場を見なくなってしまったのか。切なくも悲しい、心が離れた瞬間を見極めたい。

文:渡辺陽一郎


■日本のメーカーが日本を見限るまでの経緯

 自動車メーカーは「日本のユーザーを離れたのではなく、グローバル化した」というが、我々は「見限られた」と感じる。かつてここで挙げるようなクルマを愛用した人たちには「私たちが育てたクルマだ」という自負もあるから、裏切られた気分を強めてしまう。

現行シビック。乗ればいいクルマなのは重々承知なのだが、しかし「おれたちの知っているシビック」ではなくなってしまった
現行シビック。乗ればいいクルマなのは重々承知なのだが、しかし「おれたちの知っているシビック」ではなくなってしまった

 1970年頃までは、輸出は行っていたものの、日本メーカーの主な市場は国内だった。日本国内の自動車生産台数は1960年が48万台、1965年が188万台、1970年が529万台と増えたが、1970年の輸出台数は109万台だ。

 ところが1973年に、第4次中東戦争によるオイルショックが発生してガソリン価格が急騰すると、状況は一変した。北米で「日本車は低価格で燃費が良く、故障しにくい」と評判になり、輸出台数が急増している。1970年に109万台だった輸出台数は、1975年には2.5倍の268万台に達した。これに伴い、日本と北米の間には貿易摩擦が発生している。

 ただし1975年頃は、日本メーカーの海外生産はほとんど行われず、国内では431万台が売れていた。輸出が268万台でも、国内販売の62%程度だから、乗用車の商品開発は、基本的に国内を対象に行われていた。

 そして1980年代には、1970年代中盤に実施された厳しい排出ガス規制が技術的に克服され、日本車は再び性能を高めていく。

■日本車と日本市場の黄金時代は1980年代

 この80年代からの約10年間、つまり1980年から1990年が日本車の黄金期であった。

 商品開発は基本的に国内のユーザーに向けて行われるが、輸出台数も増えているから、走行速度の高い地域では動力性能や走行安定性も問われる。

 そこで走りの技術開発も活発になり、1980年代には低燃費車と併せて高性能化が図られた。DOHC(ツインカム)、ターボ、スーパーチャージャー、4輪独立式サスペンション、4WD(4輪駆動)、4WS(4輪操舵)などは、1980年代に急速に進化したり、あるいは誕生している。

 この日本のユーザーを見据えながら、海外の走りのニーズにも応える商品開発からは、日本人の共感が得られる走りの優れたスポーティカーが生み出されて人気車を高めた。2代目マツダサバンナRX-7(1985年)、初代トヨタスープラ(1986年/海外では3代目)、6代目三菱ギャラン(1987年)、8代目日産ブルーバード、初代日産プリメーラ(1990年)などが記憶に残る。

1990年に登場した初代プリメーラ。日本車がある種の頂点を迎えていた時代に登場した名車
1990年に登場した初代プリメーラ。日本車がある種の頂点を迎えていた時代に登場した名車

 ちなみに1980年代の日産は、1990年代に走りの技術で世界一になることをめざした901運動を展開して、5代目シルビア(1988年)なども含めて走りの良いクルマが多かった。

 また当時は3ナンバー車の税金が高く、1980年代の後半で自動車税は年額8万1500円以上であった。排気量が2L以下の5ナンバー車は今と同じ3万9500円だから、3ナンバー車は2倍以上に跳ね上がる。

 そこで直列6気筒2Lエンジンにターボを装着したエンジンが普及して、1Lクラスや軽自動車のターボも登場していた。日本向けの商品開発と海外を視野に入れた走りの技術、メカニズムの種類も豊富で、クルマ選びが楽しい時代だった。

S13シルビア。老若男女に支持された名車
S13シルビア。老若男女に支持された名車

 流れが大きく変わったのは1989年だ。消費税の導入と併せて自動車税が改訂され、3ナンバー車の不利が撤廃された。その結果、1990年代には3ナンバー車が急増する。「3ナンバー車に拡大すれば、日本のユーザーは豪華になったと喜ぶ。メーカーは国内仕様と海外仕様を共通化できるから(それまでは分けて開発することが多かった)一石二鳥」と考えた。

 ところがバブル経済の崩壊もあり、国内販売は1990年の778万台を頂点に急降下を開始する。原因として3ナンバー車が国内に合わないこともあったが、それ以上に災いしたのは、海外向けの車両を国内に流用したことだった。日本向けに開発されていたクルマが一気に海外向けに変われば、ユーザーは誰でも疎外感を抱く。自動車税制が改訂された1989年4月1日は「日本メーカーの国内市場に対する見限りが始まった瞬間」でもあった。

 そこから国内販売は一貫して下り坂だ。日本メーカーの工場が海外にも続々と建設され、海外の雇用にも貢献できるようになった。それは素晴らしいことだが、日本のユーザーは見限られたままだ。

現行スカイライン。2018年5月の月販台数は35台。こうなると見限ったのか見限られたのか……ともあれ黄金期を知る人間としては切なさで身が切られる思い
現行スカイライン。2018年5月の月販台数は35台。こうなると見限ったのか見限られたのか……ともあれ黄金期を知る人間としては切なさで身が切られる思い

 2017年の国内販売は523万台で、1990年の67%にとどまる。今の低迷が回復する兆しはまったくない。商品にも元気はなく、かつての日本は「ターボ王国」だったのに、今は欧州車が「環境性能の優れたダウンサイジングターボ」と自らの技術のように幅を利かせる。1980年代には天井の低いスポーティでフォーマルな国産4ドアハードトップが数多くあったのに、今は欧州車が「新時代の4ドアクーペ」と胸を張る。

「日本のクルマ好きであること」にプライドを持てない今の時代に、昔のクルマを懐かしむのは悪いことだろうか。愚痴をこぼしては、いけないのだろうか……。

■日産スカイライン(日本を見限った瞬間:11代目/2001年発売)

11代目スカイライン(2001年)
11代目スカイライン(2001年)

 スカイラインはスポーティカーの代表車種。1964年に2代目スカイラインに直列6気筒エンジンを搭載するボンネットの長い2000GTが用意され、注目を浴びた。1969年には、3代目にDOHC24バルブエンジンを搭載した2000GT-Rが加わり、1972年に発売された4代目はケン・メリの愛称で親しまれた。1973年には、4代目の1か月の平均登録台数が1万3133台に達している。2017年のスカイラインは1か月平均で243台だから、45年前のスカイラインは今の54倍も売れていた。

 日産は2018年7月5日、2018年上半期の国内販売で、ノートが48年ぶりに登録車(小型/普通車)の1位を獲得したと発表した。この1か月平均は1万2230台だから、当時のスカイラインは、さらに売れていたことになる。

 スカイラインは1993年に登場した9代目で3ナンバー車になり、人気を下げたが、この時点では国内向けに開発されていた。そのために9代目でホイールベース(前輪と後輪の間隔)を2720mmに伸ばしながら、1998年発売の10代目では2665mmに短くしている。「肥大化した」という国内の批判に耳を傾ける気構えがあった。

 しかし2001年発売の11代目が、北米でインフィニティG35として扱われるようになると流れが変わった。北米指向を強め、2014年に発売された現行型の13代目は、全幅が1800mmを超えて外観は鋭角的な北米好みだ。

 しかもエンブレムは日産ではなくインフィニティが装着され「日産のスカイラインであること」を自ら否定している。同時に「日本を見限ったこと」も宣言しており、もはや従来型スカイラインのファンと所有者に喧嘩を売っているとしか思えない。

■ホンダシビック(日本を見限った瞬間:8代目/2005年発売)

8代目シビック(2005年)
8代目シビック(2005年)

 シビックは初代モデルから海外で高い評価を得た。コンパクトな割に車内の広い独創的なボディ、希薄燃焼方式を使った環境性能の優れたCVCCエンジンなどが人気を呼んだ。

 それでもシビックは、国内市場を重視する5ナンバー車として発展を続けた。6代目に追加されたタイプRは1.6LのVTECエンジンながらも高回転域の吹き上がりが鋭く、1.8LのインテグラタイプRとは違うテクニックが重視されるスポーツモデルだった。

 ところが2000年に発売された7代目では、国内仕様から3ドアハッチバックがはずされ、2001年に登場した割安な初代フィットに需要を奪われ始めた。2005年発売の8代目では、3ナンバーサイズに拡大されたセダンのみになってしまう。イギリス製のタイプRユーロやタイプRも輸入したが、限られた台数で終わった。そして9代目は日本で売られていない。

 ところが10代目の現行型は、セダンを国内の寄居工場で生産することになり、5ドアハッチバックとタイプRもイギリス製を輸入して2017年9月から販売している。1か月の登録台数は1500台前後だが、ホンダは「予想を超える売れ行き」という。多くの顧客に支えられた自社商品の供給を停止させ、さらに唐突に再開させて「予想を超える売れ行き」はないだろう。見限られてもなお、シビックを愛するユーザーは多く、そのことにホンダ自身が気付かないようでは困る。

■トヨタRAV4(日本を見限った瞬間:3代目/2005年発売)

3代目RAV4(2005年)
3代目RAV4(2005年)

 1994年に発売された初代RAV4は、新鮮なクルマだった。当時のSUVは、トヨタハイラックスサーフ、日産テラノとミストラル、いすゞビッグホーンなど、後輪駆動ベースの4WDを備えるオフロードモデルが中心だ。ホンダCR-Vが発売されたのは1995年だから、前輪駆動をベースにするのは三菱RVR程度で、RAV4には注目が集まった。

 発売時点では3ドアボディのみで、全長は3695mmと短く、全幅も1695mmで5ナンバーサイズに収まる。駆動方式はエンジンを横向きに搭載する前輪駆動ベースのフルタイム4WDのみで、車両重量が1180kgのボディに2Lエンジンだから、運転感覚は軽快で楽しかった。1995年には全長を4105mmに伸ばした5ドアボディのRAV4・V(ファイブ)が加わり、ファミリーユーザーも獲得した。

 ところが2000年に発売された2代目は、後席の居住空間などが広がったものの、全幅も1735mmに拡大されて3ナンバー車になり、初代モデルの持ち味だった軽快感が薄れた。今にして思えば、日本を見限る過渡期に位置付けられる。

 そして2005年登場の3代目は、全幅を1815mmまで拡大した外観、排気量を2.4Lに増やしたエンジンで、さらに大味になってしまう。その割に後席は狭く、2007年にはロング版のトヨタヴァンガードを発売した。

 つまりRAV4は3代目で日本を見限り、支持を失った。改めて新型を発売する予定だが、売れ行きは未知数だ。前述のシビックは少なくとも20年間は人気車で、思い出を持つユーザーも多いが、RAV4が人気を得ていた期間は約5年と短い。しかも今のトヨタにはハリアーやC-HRも用意されるから、高い人気を得るのは難しい。

■スバルレガシィ(日本を見限った瞬間:6代目/2014年発売)

6代目レガシィ(2014年)
6代目レガシィ(2014年)

 レガシィの初代モデルは、1989年に発売された。この年には自動車税制が改訂され、日本車が続々と3ナンバー車になる切っ掛けとなったが、レガシィは5ナンバーサイズで発売された。この後も3代目までは3ナンバー化に惑わされず、2003年に発売された4代目で全幅が1700mmを超えた。

 しかしクルマ造りの基本方針は変わらず、3ナンバー化がほとんど欠点と思えなかった。

 2009年発売の5代目では、ホイールベースが2700mmを超えて、居住性が向上すると同時に以前の機敏な運転感覚が薄れた。

 それでも全幅は抑えていたが、現行型になる2014年発売の6代目では、日本を見限る姿勢が本格化した。人気の高かったツーリングワゴンを切り捨て、アウトバックとセダンのB4は、全幅が1840mmまで拡幅されている。北米など海外向けの長距離移動が快適なクルマになった。

 ただしスバルではレガシィツーリングワゴンの後継として、全幅が1800mmを下まわる日本向けミドルサイズワゴンのレヴォーグを加えた。WRX・S4も全幅が1795mmで、レガシィB4の後継という見方が成り立つ。国内に向けて、相応のケアはされている。

■日産マーチ(日本を見限った瞬間:4代目/2010年発売)

4代目マーチ(2010年)
4代目マーチ(2010年)

 1992年に発売された2代目マーチは、世界で最高水準の取りまわし性を誇った。全長は3695mm、全幅も1585mmだから小回り性能が優れ、ボンネットも良く見える。サイドウインドーの下端を低く抑えた水平基調のボディは、視界が抜群に良い。安全の第一歩は車両の周囲に潜む危険の早期発見だから、2代目マーチは衝突性能とは違う意味で優れた安全ボディを備えていた。

 しかも外観が柔和で上質感も伴う。この安全性、取りまわし性、見栄えの両立は、工業デザインの真髄であった。これに比べると昨今の後方がロクに見えない外観は、第一に危険であり、デザインの力量も大幅に劣る。今の開発者やデザイナーには「2代目マーチを改めて見直せ!」と言いたい。

 この優れたマーチが、フルモデルチェンジの度に衰えていった。2002年に発売された3代目は、デザインは2代目の流れを受けて相応に良かったが「Bプラットフォーム」にはコストダウンの悪影響が感じられた。

 乗り心地は柔軟でも、後輪の接地性が劣悪で走行安定性に不満が伴う。同じプラットフォームを使う2代目キューブが発売されると、その処方に沿って大幅なランニングチェンジ(報道発表をせずに改良をすること)を実施したが、後輪の接地性を高めた代わりに乗り心地に突っ張り感が生じた。デザインや取りまわし性は悪くなかったが、運転するとその後のマーチが危ぶまれた。

 悪い予感が的中したのは、2010年に発売された4代目の現行型だ。「タイ生産になった」という言い訳はともかく、単純にデザインから乗り心地まで質が低い。しかも2/3代目に比べると視界も少し悪化した。緊急自動ブレーキを作動できる安全装備も付かず、日本を見限ったというよりも、選ぶ価値を根本的に失っている。

■ホンダアコード(日本を見限った瞬間:5代目/1993年発売)

5代目アコード(1993年)
5代目アコード(1993年)

 シビックの上級に位置する基幹車種で、1980年代の初頭には、他メーカーに先駆けて北米生産を開始した。それでも日本仕様は国内向けに開発され、1985年に発売された3代目は、当時のミドルサイズセダンでは上質だった。1988年には北米生産のアコードUSクーペを輸入するが、全幅は1695mmで左ハンドルの5ナンバー車だった。

 1989年発売の4代目も基本路線を踏襲したが、1991年に発売された北米製アコードUSワゴンは、全幅が1725mmの3ナンバーボディに2.2Lエンジンを積んだ。この頃から雲行が怪しくなり、1993年発売の5代目は、すべて3ナンバー車になった。

 5代目は丸みのある外観で四隅の位置が分かりにくく、正直な開発者は「車庫入れすると、真っ直ぐに駐車できないんですよ」と言った。ユーザーは当然に「日本の私たちを見限ったクルマ」と考えて、売れ行きも伸び悩んだ。

 そこで1997年に発売された6代目のセダンは、再び5ナンバーサイズに戻したが(ワゴンは3ナンバーサイズ)、もはや遅きに失した状態だ。ホンダの売れ筋は、1994年発売のオデッセイや1996年のステップワゴンになっていた。2002年発売の7代目では再び3ナンバー車に戻り、今でも日本を見限った状態が続いている。

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