■CО2削減を進めるのは「お気持ち」ではない
で、ここからなんの話につながるのかと言えば、「軽自動車の先行きを歪めないでくれ」という話である。
今、日本では軽自動車も含めて、「2030年代半ばにガソリンエンジン車の販売禁止」を、ふわっと仮決めしたままになっている。ここがとても気になっている。のちの議論でハイブリッドは電動車として継続が認められているのでいいが、考えるべきは軽自動車のガソリンエンジン車である。
LCAで考えた時、軽自動車に勝てるBEVは現状存在しない。厳密に言えばマイクロカー的なBEVで、有利な条件設定にすればもしかして勝てるかもしれないが、普通の人がBEVといわれて想像する、日産リーフやテスラのクラスでは、LCAで軽に勝つことは当面不可能である。
もちろん未来において革新的技術が発明されればこの限りではないが、それはそういう技術が出てからされるべき議論であって、出来もしないうちから切り替えを急いだら、またぞろCO2排出量プラスの世界が待っている。
一度やった過ちは繰り返すべきではない。
先ほど説明したとおり、バッテリーを搭載すると、生産と廃棄の際のCO2排出量が増える。バッテリーという手法に依らず、小さく軽く高効率というやり方で、LCAでのCO2排出量を減らしてきた軽自動車に、「電動化にすればもっとよくなる」という論理性のないお気持ち依存でバッテリーを搭載するのが、いったいどういう意味を持つか、よく考えたほうがいい。
価格が上がり、資源も消費し、そのわりに得られるメリットがプラスかどうかはまったく精査されていない。
「電動化は正義」という定量的でない価値観でそう言われているだけだ。
世界のより多くのクルマのCO2排出量を低減していくためには、CO2削減のコストパフォーマンスは重要なのだ。
それはむしろ電動化しないほうがいい、となる可能性が高い。
百歩譲って、仮に純内燃機関が負けたとしてもそこにはわずかな差しかないはず。それがダメならスピード違反と同じで、LCAで軽に勝てないBEVは全部アウトになってしまう。
わたしはなにも、「軽の電動化にメリットはあり得ない」と主張しているのではない。盲目的に「電動化がいい」という宗教じみた考え方をいったん置きませんか、と主張しているのだ。具体的に言えば、軽自動車に関してのみ、純ガソリンエンジン車を認めるべきだと思う。
軽自動車はおおむねグローバルなAセグメントに相当するが、そのクラスではコストは最重要要素である。わざわざ構造の複雑化を義務付けて販売価格を上げるよりも「ダウンサイジングしてコスパの高いジャパニーズKカーに乗りましょう」と世界に訴えて、日本のマイナス23%メソッドを世界に輸出したほうが、少なくともCO2削減には大きな効果を発揮するはずだからだ。
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