三菱が窮地に陥っている。2020年7月27日、2021年3月期の連結最終損益が3600億円の赤字(前期は257億円の赤字)になりそうだと発表した。
三菱の2020年4~6月期の世界販売台数は13.9万台と前年同期比は53%減。部品の調達難や需要減少を受け、2020年3月下旬から国内の主力3工場で生産調整を余儀なくされている。
こうした逆風のなか、7月27日に発表した2022年度までの3カ年の中期経営計画では構造改革を掲げ、パジェロ製造の工場を2021年上期に生産を止め閉鎖。国内はもちろん、輸出向けに生産を続けてきたパジェロの生産から完全に徹底することになった。
さらに2020年8月7日、益子修会長(71)が健康上の理由で退任し、特別顧問に就任すると発表。会長職は加藤隆雄最高経営責任者(CEO)が代行することとなった。
三菱といえば、パジェロとエボリューションモデル。その両翼が消えてしまった……、と三菱ファンからの悲鳴が聞こえてきそうだ。
気になるのは、一度は消えた灯、エボリューションの復活が今回の“窮地”でなくなってしまったのではないかということだ。
1992年、ランサーエボリューションの登場から始まった、エボリューションの系譜は、2016年に限定1000台で販売されたランサーエボリューションの販売終了によって一度は途絶えたものの、それ以降も幾度となく復活の声が聞こえてきていた。
かつて、益子修社長は、会見で「いつかパジェロ、ランエボの開発に挑戦したい」と発言し、2017年の東京モーターショーではコンセプトカーとはいえ久しぶりに「エボリューション」の名前が付いたモデル、「e-エボリューションコンセプト」を出展。今後の動向が注目されてきた。
そこで、エボリューションの系譜は本当に途切れたのか、モータージャーナリストの御堀直嗣氏が考察する。
文/御堀直嗣
写真/三菱自動車
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三菱にとってエボリューションはなくてはならない存在
エボリューション(進化)の言葉が、三菱車の高性能仕様として使われはじめたのは、1992年の4代目ランサーからである。
ほかに、1997年にパジェロでも使われた。現在は、三菱にランサーもパジェロもなく、エボリューションと名付けられた車種やグレードはない。
ランサーは、1973年に初代が登場した。それまでのコルト800の後継という位置づけだ。5ナンバーセダンの小型車で、800kg台の軽量な車両重量で軽やかに走るクルマだった。
三菱は、コルト1100F(コルト800の車体に大排気量エンジンを搭載)を販売していた1960年代から、オーストラリアで開催されていたサザンクロスラリーに出場し、その後のギャラン、そして初代ランサーでの出場と続く。
ラリー参戦の基となったのが、ランサーGSRだ。排気量1.6Lで直列4気筒のSOHCガソリンエンジンではあったが、最高出力は110psで、800kg台の軽い車両重量を活かし俊敏に走った。
競技用エンジンは160psまで性能を上げていたが、それでも軽さを活かした俊敏さがサザンクロスラリーとアフリカのサファリラリーでの優勝を三菱にもたらした。
4代目ランサーで、初めてエボリューションと名付けられた高性能車が発売になる。2代目ランサーEXから世界ラリー選手権(WRC)への出走も始まっていたが、エボリューションが登場していよいよ本格参戦を始めることになる。
以後、エボリューションX(10)まで進化を続けるわけだが、この間に、WRCで1996~1999年にかけて4年連続でドライバー選手権を三菱は獲得し、1998年にはメーカー選手権も奪っている。
三菱のWRCでのチャンピオン獲得は、グループAと呼ばれる市販量産車を基にした競技車両の時代であり、国際自動車連盟(FIA)の公認部品を使うことは許されたが、基本は量産車と同じということから、三菱の評価を高めることにつながった。
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