ディーゼルトラック、どうやって動かすんだ?!
修理だけじゃない。ディーゼルトラックの動かし方も学んだ。
「倉庫から盗まれないように、前にディーゼルトラックを止めてるわけ。ある日の朝、先輩から『翔、お前、トラックよけろ』ってキーを渡されてさ。キーをさして何回も回すけど、うんともすんとも言わないのよ。先輩が『違うんだよ、逆に回すんだよ!』。え?なんですか?かかりません!なんて言ってたら、そのうち先輩が怒っちゃってさ(笑)」
ディーゼルエンジンは空気を圧縮して高温高気圧になったところに燃料を噴射することで着火する仕組み。エンジン内部が冷たいとかかりにくい。そこで、グローというシリンダーを温める装置がある。当時は、キーを逆に回すとグローが作動。そして、通常通りキーを回すと、エンジンが始動した。
「あんまり寒い日には、エンジンがかからないのよ。温めるために、下から火をたいた時もあってさ(笑)」
ディーゼルトラックが整備のために入ってきたときは、先輩に“点火プラグ”の点検を指示された。ディーゼルエンジンは前述のように空気を圧縮した熱で着火するため、点火プラグはそもそもない。「知らないから、一生懸命探すわけよ。あれ、ないなあって(笑)」
整備士の勉強をしたわけではないが、そんな楽しい日々を通じて、どんどん知識を吸収していった。「どうすれば、クルマのエンジンがかかって、どうすれば、クルマがどうなるか。先輩たちが、おもしろおかしく、教えてくれた。そんな時代があったので、クルマにすごい興味を持つようになったんだよね」
アメ車に乗るきっかけもGSのバイト
翔と言えば、アメ車のイメージだ。乗るきっかけが、このガソリンスタンドの体験からだった。
「冬は洗車機を動かすと凍るから、何時以降は禁止となってたの。ある日、夜の8時ぐらいにキャデラックが来て。洗車機が動かないから手洗い。寒いのに、ふざけんなよって(笑)。いつか、乗ってやるって思ったもんね」
最初に乗ったアメ車がシボレー・コルベット・スティングレイ(1979年式)。銀蝿のデビュー翌年のことだった。
「日本のクルマは性能で、要はエンジンの内部のもので早くしようとか、キャブのシステムを変えるとか、スピードやバランスを取る。でも、アメリカは広い国だから、速くするなら、でかくすればいいじゃないってことよ。2000CCより7000CCを作った方が速いでしょってこと。日本車はコンパクトだけど、アメ車は最初からバカみたいにでかい。そんな感覚が好きなんだよね」
コルベットが欲しくなったのは、キャデラックに並ぶ最高峰だからという。「アメ車のスポーツカーの王様。アメリカ人は、みんなコルベットが最高だと思っているから。(世界三大レースのひとつといわれるアメリカの)インディ500のペースカーは、コルベットが担ってたから。1978年か79年のころのペースカーのカラーリングにしたのよ」
銀蝿時代の仕事帰り、国道246号沿いの中古車販売店で見つけた。値段は400万円ほど。通常のコルベットよりも幅が広いブリスターフェンダーといわれる横に膨らんだ一体化された流麗なボディ。ボンネットもキャブレターも改造して、翔にとって思いが詰まった1台となった。
ロングノーズ・ショートデッキでグラマラス。「運転席から手を伸ばすと、後ろのタイヤに触れることができるの。それってすごいじゃん。これは銀蝿を解散してからもずっと乗ってた。5、6年ぐらいかな。もう大好きだったね」
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