みなさんは、お城のプラモを作ったことはないだろうか? お城はミニカー同様、男の子にとってロマンそのもの。憧れの存在だ。
中学生の時、生まれて初めて訪れた城は姫路城だった。あの時の感激が忘れられない。それは、チビッコ時代に空き地に作った「基地」の超巨大版。濠や石垣、塀や門を抜けた先に聳える大天守が、男子の脳ミソを直撃した!
「城は好きだけど、天守なんて権力の象徴だろ。興味ないね。俺が惹かれるのは実戦で鍛えられた山城や石垣だ」
そううそぶく城好きも多いことだろう。何を隠そう、成人後の私がそうだから。
しかしそういうセリフは、日本に12城残る現存天守(江戸期以前に建築され現在も残る天守)をすべて巡ってから言うべきだ。
男なら、まずは行け、現存天守へ! 愛車に乗って突撃しろ! そのうえで、「俺が好きなのは濠だ」とか「縄張以外興味ない」とか、各自の趣味に進めばいい! だから声を大にして言う。行かずに死ねるか現存天守!
※本稿は2022年7月のものです
文/清水草一、写真/清水草一、Adobestock、ベストカー編集部
初出:『ベストカー』2022年8月26日号
■現存天守城郭はこう見よう「天守とは、たたずまいのみである!」
天守には、「望楼型」と「層塔型」、そのほか独立式や複合式など、学術的にはいろいろな分類がある。
しかし我々シロウトは、そういった細部にこだわる必要はない。見て、感じればそれでいい!
なぜなら現存天守は、中身はカラッポのがらんどう。物見櫓としての機能を除けば、単独では攻撃力も防御力もほぼゼロ、居住性すらない。人に見せ、畏怖させることだけを目的とした建造物なのだ!
だから少し離れて眺め、味わえばそれでいい。クルマで言えば、グリルのデザインに近い。が、実はそれが意外と大事だったりするのである!
最初の本格的な天守は、織田信長が作った安土城(1579年)だと言われる。安土城天守は内部も豪華絢爛で、信長自身、天守に居住していたらしいが、わずか3年後、本能寺の変の直後に炎上し、灰燼に帰した。その後、豊臣秀吉が建てたゴージャスな天守たちも残っていない。
江戸期に入ると、質素を好んだ徳川家康の影響もあり、天守の目的は「権力の象徴」に絞られるようになった。つまり見た目だけが勝負。中身はカラッポなので、無視してもいいのである!
西洋の城には、防御機能のない宮殿も多い。女性も、お城に住むお姫様を想像してもウットリできる。しかし日本の現存天守はほぼハリボテ。兜で言えば、中央に突き出た「前立」みたいなものである。
極論すれば、現存天守を訪ねても、内に入る必要はない。そこは装飾性ゼロで、すべてがむき出しの舞台裏みたいなものだ。最上階に上って周囲を眺めたくはなるが、現存天守に関しては、城主が天守に登る機会はなかったかもしれない。最上階から眺めを味わったのはお殿様ではなく、留守役なのだ!
繰り返すが、天守は周囲から眺めてナンボ。たたずまいがすべてだ。周囲の濠や石垣や縄張や山や川や海などの「背景」も含め、全体が醸し出す風情にどれだけロマンを感じられるかが重要。よって今回は、それだけを基準に、独断でランキングしてみた!
思えば天守の建設は、実に短い歴史しかない。安土城天守が築かれてから、大坂の陣後に「一国一城令」が出され、新たな天守の建設が禁じられるまで、わずか40年ほどだった。長い日本の歴史を思えば、現存天守は、ごく短い期間に集中して建設された、陽炎のようなものである。
その陽炎が、現在に至るまで男のロマンを刺激してやまないのだから、それは一種のビッグバンだ!
さあ、現存12天守を巡って、男汁のビッグバンを堪能しよう!
コメント
コメントの使い方わけわからん記事だ。
カーマニアなら最寄りにスカイラインミュウジアムがある松本城だろ。