マツダMPV:1990年1月~1999年6月
続いては初代エスティマと同じ1990年に登場したマツダMPVだ。長いボンネットフード、そして四角い3ナンバーサイズのボディに3列シートをレイアウトする初代MPVが国内に導入されたのは1990年1月。
現在のSUVに近いスタイリングだが、当時は「新しいカテゴリーの多目的高級サルーン」呼ばれていて、その後のモデルを見るとミニバンにカテゴライズできす。乗用車のプラットフォームを流用しており、エンジンは運転席前に搭載されるFFの駆動方式をいち早く採用した。
当初は3L、V6エンジンを搭載したモデルのみで、走行性能は当時のほかのミニバンとは一線を画し、新車時価格も355万円とエスティマと同レベルの高価格車だった。
1995年のマイナーチェンジで内外装の変更とともに、全長を200mm延長している。また、搭載するエンジンラインアップも変更され、2.5L、直4ディーゼルターボを搭載し、駆動方式も4WDが追加された。
1999年まで生産された初代MPVの中古車の流通台数はわずか3台と絶滅の危機に瀕している。中古車の価格帯は約39.8万~約89.5万円で平均価格は約79.8万円と高価格で推移している。現在流通している中古車はすべてディーゼル車なので使用できる地域に制限があることは覚えておいてほしい。
初代ホンダオデッセイ:1994年10月~1999年12月
1994年にクリエイティブムーバー第1弾として登場したホンダオデッセイだ。初代オデッセイの開発責任者小田垣邦道氏に、筆者は初代オデッセイの開発についてインタビューしたことがある。
当時ホンダは他社に比べてミニバンの開発が遅れていて、営業現場からはハコ型のミニバンの開発を望まれたそうだ。
しかし、当時のホンダの工場ではそんなに大きなボディのクルマを作れる生産ラインがなく、アコードをベースとしてオデッセイを作ったものの、営業マンの集まった内覧会では非難囂々だったという。
しかし、乗用車をベースとしたオデッセイは乗用車のような低重心による優れた乗り心地とセダンより広い室内空間を武器に大ヒットし、ミニバンがファミリーカーの定番となるきっかけとなった。
また、小田垣氏はクルマのメリットは「好きな時間に好きな場所へ行ける・タイムレス」、「公共の乗り物のように周りを気にする必要のない・プライバシー」そして「自宅から目的地まで行ける・ドアトゥドア」この3つがクルマの最大の特徴であるのだと話してくれた。
まさにコロナウイルス感染症拡大の現在、クルマの価値が再認識されているのは、この当たり前となっていた3点が見直されているというころなのだろう。
初代オデッセイは当初2.2L、直4+4速ATというパワートレインだったが、1997年のマイナーチェンジで内外装の変更とともに、エンジンの排気量を2.3Lへ拡大。そして3L、V6エンジンを搭載した上級モデルのプレステージを追加した。
現在、初代オデッセイの中古車の流通台数は約9台で、価格帯は約19.8万~約80万円。平均価格は約34.8万円となっている。グレードは後期型の2.3L車が中心でわずかに2.2L車が流通している程度。3L車のプレステージは全く流通していない。
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