特別仕様車のなかには、偉大なレーシングドライバーの名前が付くグレードが販売されていた。有名どころだと、ランサーRSエボリューションVI トミー・マキネンエディション、ここ最近ではGRヤリスにWRCドライバーのセバスチャン・オジェとカッレ・ロバンペラエディションが登場して話題を呼んだが、FTOにも300台限定の特別仕様車があった。長い年月が経ったイマ、張本人が特別仕様車に込めた想いを語る!!
文:中谷明彦/写真:富士スピードウェイ、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】レーシングカーとEV仕様もあっただと 三菱FTOはマルチに大活躍!!!!(9枚)画像ギャラリー■300台限定の超希少グレード
1994年に三菱自動車からが登場したFTO。2LのV6エンジンをフロントに横置きし、前輪を駆動するFFレイアウトながら、フロントデフにLSDを搭載。当時最強といわれたホンダ・インテグラ・タイプRを筑波サーキットバトル(ベストモータリングで行われていたサーキットバトル)で破ったことで、一躍脚光を浴びた。
その成果が功を奏してか、その年の日本カー・オブ・ザ・イヤーで本賞を獲得するなど、一世を風靡した。そのFTOに僕の名を冠した「NAKAYA TUNE」というモデルが、300台限定販売ながら設定されていたのをご存知だろうか。
NAKAYA TUNEとは、中谷明彦がレースやジャーナリスト、メーカーでの開発などを通じて知った世界中の優れたチューニングパーツを厳選し、国内ユーザーに提供することを目的として1997年に始めたオリジナルブランドだった。
最初に設定したのはブレーキ・パッドだ。レース活動で「これ以上ない!」という最高評価を与えたのは独・パジット社のRS4/4というパッドだ。
パジット社はポルシェの純正ブレーキパッドを供給しているサプライヤーメーカーであり、ポルシェ車のブレーキが「宇宙一」と感じさせる一翼を担っていた。F3000やグループC、ニューツーリングのレースカーでも使用して優勝することができた。同じようにビルシュタイン社のショックアブソーバーとアイバッハ社製コイルスプリングも、レースカーで実証できていた。
そんな「NAKAYA TUNE」の存在を知り、是非ともFTOにも搭載したいと熱望する三菱自動車の商品企画室パーソンがいた。彼のオファーは、モデルチェンジを控えたFTOに300台限定設定し、販売したいとのこと。
FTOは当初4速ATを採用していたが、このモデルチェンジで5速ATに進化する事が明らかとなっていた。それが公となり買い控えが起こる時期になり、付加価値を与えて購買意欲に繋げたいと企画されたのだ。
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しかし、そう簡単に進まなかった。「NAKAYA TUNE」のメニューとして、パジッド社のブレーキパッドとビルシュタイン・アイバッハのダンパー・コイルを搭載すること。
高性能タイヤ、高機能エアクリーナー装備を提案したのだが、それらを実装すると部品代だけで100万円近くコストがかかってしまう。部品代総額を50万円以下にしなければならず、そのための施策を考える必要があった。
そこでブレーキパッドはセカンドベストのAP社製を提案。パワーアップしてスリックタイヤでのサーキット走行をメインに考えなければ、AP社製はバランスがよく、ブレーキ鳴きも解消される。試験走行で結果良好で採用が決まった。
サスペンションはシングルチューブのビルシュタイン社製は耐久性で問題があり、オーリンズ製を手組みチューニングすることになる。チューニングを手がけたのはニューツーリングレースで一緒に組んだステラ・レーシングから独立したBBR社だった。
300台+予備のダンパーを手組みするのは本当に大変だったと思う。こちらも実装走行テストで狙った通りの走行フィールが確認できて採用された。
スプリングは35ミリ車高を下げる狙いでバネレートをあげ、ダンパーとマッチングさせた。他にはテスト&サービス社のエアロパーツやオールステンレス製マフラーを装備し、「NAKAYA TUNE」ロゴステッカーを貼付して仕上げられた。オプションパーツセットとして300台分が用意され、GPX・GP・GRグレードに装着可能だった。
「NAKAYA TUNE」公開直後に新型FTOがアナウンスされ、大半のユーザーは当然のごとく新型に流れたが、一部のユーザーに支持されて300台は完売。今は中古車市場でも見かけなくなってしまったが、英国では「FTOオーナーズクラブ」で評判が高まり、プレミアム価格でその価値が語られていると聞いた。
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