【横浜銀蝿40th】最初のクルマはタクシーだった!? ~Johnny クルマ愛を語る(前編)

【横浜銀蝿40th】最初のクルマはタクシーだった!?      ~Johnny クルマ愛を語る(前編)

 1980年9月21日、後に日本のロック史に名を刻むバンドがレコードデビューした。「横浜銀蝿」は、嵐、翔、Johnny、TAKUのメンバー全員がサングラスに黒の革ジャン、ドカン姿。不良の危険な薫りを全面に漂わせた4人が奏でる熱いサウンドと時代の気分をとらえた歌詞は、当時の若者たちを虜にし、社会現象を巻き起こす。活動期間はわずか3年3カ月だったが、40周年にあたる2020年は「横浜銀蝿40th(フォーティース)」としてオリジナルメンバーで復活を果たした。新型コロナウイルス禍の窮屈な世の中を歌った『ツッパリHigh School Rock‘n Roll(在宅自粛編)』が大きな話題を呼び、9月24日にはニューシングル『昭和火の玉ボーイ』もリリース。来年春からはコロナで順延された全国ツアー「横浜銀蝿40th コンサートツアー2020~It’s Only Rock’n Roll集会 完全復活編 Johnny All Right!~」も予定されている。

40周年を迎えた横浜銀蝿
40周年を迎えた横浜銀蝿

 横浜銀蝿は、そもそも「単なる車好きの集まり(嵐)」(『ぶっちぎり最終章』講談社刊より)だった。メンバーのプロフィルを見ると、そのことがうかがえる。とりわけ、趣味に「車、バイク(改造するのが好き。好き過ぎて、車屋をやっていた経験も)」と書いたのは翔(62)、特技を「車の運転」としたのがJohnny(62)だった。

 2人は高校の同級生。10代のころからクルマを愛し続けてきた2人が40周年を前に、ベストカー編集部の取材に応じ、クルマにかけてきた情熱を語った。

 2回に分けてお届けするJohnnyのインタビュー前編は「青春時代のクルマたち」。

文:堀晃和/メイン写真:中里慎一郎

愛車を駆ってナンパの日々

 最初に運転したのは、何とも意外なクルマだった。そして、「秘密兵器」が備わっていた。

 高校卒業後から自動車教習所に通い、大学入学後には免許を取った。ただ、購入するだけのお金は貯まっていない。でも、すぐ乗りたいのが人情だ。そこで、どうしたかというと…。

「俺のおじさんがタクシーの運転手だったんです。タクシーの払い下げの黒いセドリックをおじさんが乗っていて、それを借りて翔君と夜な夜な湘南に行ってナンパです。タクシーなんで、後ろのドアが開くんです。『ねえねえ、乗ってかない?』って女の子に声をかけて、後ろのドアがばあって開く。けっこう、これが受けるんですよ(笑)」

 ナンパには、最強の車種だったかもしれない。でも、やはり自分のクルマが欲しい。夏休みに1カ月間、水道工事の穴掘りのアルバイトでお金を貯めた。実はほかにも、大学入学前から横浜・戸塚にあった喫茶店でアルバイトを続けていた。そこの料理長が、翔の実兄で銀蝿のリーダーになる嵐だった。

「嵐さんはクルマのブローカーみたいなことをやっていて。嵐さんから、買わなければいけないので。『お前はこれだ!』って言われて(笑)。28万円でした」

 それが、マツダのグランドファミリ1300クーペGFだった。Johnnyが現在まで乗り継いだクルマは15台ほど。最初のクルマの印象はどうだったのか。

グランドファミリ1300クーペGF。Johnnyが初めて買った青春の1台
グランドファミリ1300クーペGF。Johnnyが初めて買った青春の1台

「正直、う~んと思ったけど(笑)」。黒いレザートップが、あまり気に入らなかったのだという。そこで、「やんちゃっぽいイメージにしたくて」屋根から側面にかけて、自分で黒のペイントを施した。Johnnyの「J」に見えなくもないシャープなラインだ。

 高校時代からの付き合いの妻とデートに使ったのも、このクルマだ。ただ、乗ったのは2年ほどだった。

「何台かでつるんで走っていたとき、パトカーに追われて、突っ込んでお釈迦にしてしまって(笑)。その当時、まだ運転が下手で。神奈川県警は本当に運転がうまいです。逃げられないですよ。後ろについたら、離れないですもん」

 いろんな意味で、思い出深い1台だった。

次ページは : Johnnyと言えば「69(シックスナイン)セリカね」

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