2022年、三菱新型「eKクロスEV」が発売された。日産と共同開発された軽自動車サイズの電気自動車である。三菱広報部によると、7月5日時点の受注台数は、4609台とのことだ。
三菱には「i-MiEV」というモデルがあった。モデル改良により、軽自動車から小型自動車へと登録が変わった。それでもなお、軽EVの出発地点となった存在は「i-MiEV」ではないだろうか。これまでの経験があったからこそ、eKクロスEVの誕生へ繋がった、といえるだろう。
そこで、今回はeKクロスEVの誕生に至るまでの挑戦を深堀していく。1966年から始まった三菱によるEVへの挑戦の行く先にeKクロスEVが生まれた。
文/御堀直嗣、写真/MITSUBISHI、NISSAN
【画像ギャラリー】i-MiEVやランサーEVなど「eKクロスEV」の開発に役立ったクルマたち(20枚)画像ギャラリー1966年からはじまった三菱のEV開発
軽乗用電気自動車(EV)のeKクロスEVを発売した三菱自動車工業は、1966年からEVの研究開発をはじめている。
当時はまだ、三菱自動車工業として分社する前の、三菱重工業での自動車開発時代だ。東京電力と研究委託契約を結び、GSユアサ(当時の日本電池)と共同で試作車を開発し、軽自動車ミニカのバンを改良したEVを東京電力へ12台納入した。
都市公害の防止や、将来のタウンカー、特殊サービス車といった視点から生まれた軽EVだった。以後も、車種を替えながらEV開発は続き、東京電力以外に、中部電力や九州電力へもEVを納めていった。
当時使われたバッテリーは、エンジン車の補器用として今日も使われる鉛酸である。続いて、ニッカドと称されたニッケル・カドミウムを使い、90年代になってリチウムイオンへ至る。94年に、三菱化学のリチウムイオンバッテリーを用い、シャリオ・ハイブリッドを開発した。
リチウムイオンバッテリーについてはその後、再びGSユアサと、電極にマンガン酸リチウムを使う方式で、FTOを改造したEVを仕立て、24時間の連続走行に挑戦した。2142.3kmを走破し、ギネスブックに登録されている。マンガン酸リチウムは、コバルト酸リチウムに比べ充電容量が小さいとされる。
いっぽうで、すでにリチウムイオンバッテリーはパーソナルコンピュータなどで加熱や発火といった事故が懸念されており、弱電製品に比べ、高電圧・大容量を車載するEVの安全を優先した選択だった。24時間の挑戦は、50分走行し、20分充電することを繰り返し、2000km以上の連続走行を達成することになり、マンガン酸リチウムのEVにおける可能性を実証し、市販EVの実現へ向け大きな手掛かりになったといえる。
コルトEVやランサーEVを制作してモーター駆動を研究
リチウムイオンバッテリーの採用と市販化と別に、三菱自はモーター駆動の利点を探る研究と開発も並行している。
小型ハッチバック車のコルトや、4ドアセダンのランサーを使い、インホイールモーターの実効性を探った。インホイールモーターとは、車輪のホイール内側に駆動用モーターを取り付け、直接タイヤを回転させる方法だ。
これにより、とくにパッケージングにおいて、客室内に余計な駆動部品を置かずに済むため、同じ車体寸法でも空間をより大きく確保できる利点が生まれる。いっぽう、一般にバネ下といわれる車輪に、金属製の駆動モーターを取り付けると、その重量増によりサスペンションへの負担が増し、乗り心地や操縦性に課題が生じるのではないかとの懸念があった。
しかし、実際にコルトEVやランサーEVの試作車に試乗すると、そうした懸念がないことを体感できた。バネ下が重くなるのであれば、それに見合ったサスペンションの仕様にすればいいのである。今日、インチアップした大径ホイールとタイヤ(寸法が拡大するため重量増となる)を装着しても、問題なく走行できるのと同様だ。
さらにランサーのEVでは、これをランサーエボリューションMIEV(ミーブ)と名付け、インホイールモーターを活かした4輪駆動としていた。モーターは、エンジンの1/100ともいわれる素早い応答性があるため、三菱自がこれまでターボエンジン車のランサーエボリューションで磨いてきた以上の4輪駆動力制御の可能性が広がる。これもテストコースで試乗したが、4つのタイヤが精緻に駆動力を制御している様子を体感できた。
三菱は、ここではじめてMIEVの名称を用いた。その意味は、三菱・インホイールモーター・エレクトリック・ヴィークルである。以上のような開発期間を経て、i-MiEVの実現へ動き出す。
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