バスのお仕事とは運転士だけではなく、貸切バスのバスガイドも重要な職業だ。現役バスガイドが楽しく真剣に仕事の魅力や大失敗談を赤裸々に語る「へっぽこバスガイドの珍道中」は、コロナ渦で開店休業状態が続いた後にいよいよ念願のデビュー戦に挑む巻である。
文/写真:町田奈子
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
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■デビュー戦は“夢の国”から横浜へ
バスガイドとして入社してから丸2年が経過した。コロナ騒ぎで何もできなかった期間を乗り越え、ようやく迎えた私のガイドデビューは、あの「夢の国」のアンバサダーホテルから横浜・山下公園までお客様をお送りする、いわばデビュー戦には申し分のないシンプルな行程だった。
若干ながら言葉に語弊があったかもしれないが、今でこそ「単純な送迎」と言えるというのが正直なところだ。当時の私にとっては、何度も研修で練習を重ねてもなお不安の尽きない、まさに初陣だった。研修所の空気と、実際にお客様が乗る車内では、まったく別の緊張感がある。
特に横浜方面は、朝の首都高速道路湾岸線が曲者である。物流車両や越境通勤の車が行き交い、新人ガイドにとって最大の敵である「渋滞」が避けられない。なぜ渋滞が怖いのか。その理由は、話す内容と時間が渋滞で狂い、別の話で間を埋め続けなければならないからだ。
沈黙は一瞬で車内の空気に表れ、経験の浅さをそのまま映し出してしまう。数十人しかいいないほぼ密室ででの沈黙は、芸人さんの「滑った」どころでは済まないのだ。新人のうちは、実況アナウンサーよろしく目に見える景色だけを刻々と話すというだけでは間が持たない。
だからこそ、たとえば「スカイツリー」ひとつを取っても、色・高さ・ライトアップの話、ちょっとしたクイズなど、いくつも「つなぎのためのネタ」を引き出しにしまっておくのだ。当時の私の強い味方はスケッチブックだった。全国のガイドさんが使う定番のアイテムで、視覚的にも説明しやすい。
もっとも、私のイラスト技術は「超をさらに超える画伯級」であることは既に以前の記事をご覧の皆さまにはお察しいただいているはずだ。それでも「伝えよう」とする姿勢を支えてくれる心強いアイテムだった。こうして準備を万端整えて、いよいよ本番の日を迎えた。
■現場に着いてから出発まで
当日、現場に到着すると、まずは台数口(複数号車対応)でご一緒するガイドさんへ挨拶し、ルート確認や役割分担の打ち合わせを行う。ここでの小さな会話ひとつが、のちの運行のスムーズさに直結する。運転士さんとも丁寧に打ち合わせを行う。この後に行くルートの確認、停車位置、注意すべきポイント等々、ガイドと運転士が同じ絵を描けていなければ、当日の安全運行は成り立たないと言っても過言ではない。
新人にとっては、この「現場で交わす言葉」そのものが貴重な経験である。そして添乗員さんと当日の流れなどを確認して、準備が整ったらいよいよお客様のお出迎えをする。人数確認を終えて、チーフガイド(概ね1号車を張っている)へ報告し、運転士の無線が入り、バスの扉が閉まったその瞬間、ついに、私のガイド人生が動き出した。



