「操縦参考書」や「発動機取扱説明書」も現存
紫電改を知るためには、もう2冊のマニュアルがある。「試製紫電改操縦参考書」と「誉発動機取扱説明書」だ。
紫電改が当時画期的だった「自動空戦フラップ」を搭載したことは、一部の大戦機マニアには知られているが、水銀柱を使ったそのシステムの構造や、それを活かす操縦方法をパイロットに対して解説するための冊子が「試製紫電改操縦参考書」だ。この100ページ弱の冊子にも図面が豊富に挿入されていて、現存するものは極めて少ない。
さらに「誉発動機取扱説明書」は、紫電改が搭載した誉発動機の詳細を解説したもので、こちらも頁数が膨大で、豊富な図面が掲載されている。
誉発動機は、中島飛行機(主に現SUBARU社)が開発したハイスペック・エンジンであり、零戦が搭載した7気筒複列の計14気筒エンジン「栄発動機」を、9気筒複列の計18気筒に改良したものだ。この取扱説明書には中島飛行機が描いた誉の断面図がカラーで掲載されていて、そのオイルラインさえわかる図は大変貴重なものと言える。
この誉発動機の開発を主導した中川良一技師が、戦後、プリンス自動車や日産自動車の役員も務められ、スカイラインの開発にも尽力されたことはご存じの方も多いだろう。
分社によって航空機&自動車メーカーへ
この紫電改という戦闘機の設計は、実は水上戦闘機「強風」がベースとなっている。
強風を開発した川西航空機は、かつては水上機や飛行艇を専門に開発するメーカーだった。しかし、水上に浮かぶためゲタ(フロート)を搭載した強風を、陸上で運用するための「紫電」に改良し、それをさらに先鋭化させて紫電改を完成させた。こうして大戦機メーカーとして、そのシェアを広げていったのだ。
戦後、日本ではGHQによって航空機の開発・製造が禁止されたため、1949年、川西航空機は汎用機械を製造する「新明和興業」と、西宮工場を主とした「明和自動車工業」に分離して再出発することになる。
明和自動車工業は、オート三輪トラックやオートバイの製造を行ったが、業績不振によってダイハツ工業の傘下に入り、その軽オート三輪車「ミゼット」などの開発製造に従事。1970年には、ダイハツ工業に吸収された。
一方、兵庫県宝塚市に本社を置いた新明和興業は、1960年には社名を現在の「新明和工業」に変更。国内での航空機の開発が解禁となったことを受け、1962年からは民間輸送用プロペラ機「YS-11」の生産分担も行うようになった。さらに、同社が開発した救難飛行艇「US-2」は2003年、初飛行に成功している。
かつて水上機と飛行艇の開発に定評があった川西航空機は、さまざまな歴史を経て、今も飛行艇の開発で名を馳せているのだ。
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