パイクカーシリーズの第二弾、日産の新しい冒険と表現されたパオは、まさに冒険心をくすぐるクルマだった。コンセプトも見た目も機能も、何もかもが新しすぎて、おそらく頭を空っぽにしないと生まれてこないイマジネーションだったのではなかろうか。
文:佐々木 亘/画像:ベストカーweb編集部
【画像ギャラリー】どの地域でも活躍できそうなめためたイイクルマだったよな!!(16枚)画像ギャラリー可愛らしさの中にある勇ましさ
パオが登場したのは1989年のこと。元号が平成に変わって間もないころだった。
4mを切るボディ全長に1,570mmのボディ全幅と、車体自体は大きくないのだが、車格以上の大きさや強さをパオのデザインには感じる。
まんまるなヘッドライトに洒落たサイドミラー、フロントグリルの格子柄も相まって可愛らしさが先行するが、ボンネットからバックドアまで施されたボディラインは、どこか軍用車のような雰囲気を醸し出す。
艶消し系のボディカラーが、美術品というよりも道具感を強め、知らない土地へ行ってみようかと冒険心をくすぐるのだ。
まさに乗るだけで別世界へと旅に出られるクルマ。普通の生活に飽き飽きしていて遊び足りない人や、都会の街並みになんだかうんざりしてきた人が、新しい刺激を求めに行くのにぴったりだった。
東南アジアのような雰囲気がありながら、ハワイのようにきらびやかな面もある。中南米の力強さを併せ持ち、大自然あふれるアフリカ大陸でも似合うクルマは、世界中探してもそうあるまい。
当時の日産の開発陣は、世界一先進的で、常識を大きく超えた仕事のできる魔法使いのようだ。
【画像ギャラリー】どの地域でも活躍できそうなめためたイイクルマだったよな!!(16枚)画像ギャラリーどんなに待ってもイイから手に入るという安心が欲しい
新車の供給量が需要に追い付かず、人気モデルでは相次いでオーダーストップが発生している昨今。欲しいクルマを注文すらできない世の中になってしまっていることを、非常に残念に思う。
そんな日本の各メーカーに見習って欲しいのが、パオの販売方法だ。当時の販売方法を振り返ってみよう。
パオは3か月間の予約期間限定販売を行った。予約受付は1989年の1月15日(日)から4月14日(金)まで。各販売店で先着順に予約を受け付け、この期間に予約されたパオは、すべて生産をして販売するという潔さなのである。
当時としても異例の1年半超という長い納期にはなったが、5万台を超える受注を受け、キャンセル等を除いた3万台超の生産を行い、パオを求める人すべてに行きわたらせたのが当時の日産の漢気とも言えよう。
台数限定の抽選販売とか、納期が長くなりすぎるから注文できないようにしますという、昨今のメーカーのような逃げ道を一切作らずに、ただただ求められた数を時間がかかろうとも生産し続けたのだ。
どのクルマとは言わないが、発表・発売日に注文すら入れられず何年もオーダーストップを続け、そのままフェードアウトするのではという不安を与えたり、契約書を取り交わした後に抽選販売を突然宣告され、買えない状態になってしまったりと、ユーザーの「買いたい気持ち」をあまりにも無視した売り方を続けるクルマが多く見受けられる。
こういうクルマを買いたい人は、今すぐに届かないことも知っているし、何年でも待つ覚悟だと思うのだ。だからこそパオの「時間がかかっても受けた注文分は生産します‘‘ご安心ください’‘」という姿勢は、まるで神の所作のように感じられるだろう。
車両コンセプトはもちろんだが、生産や販売に関してもパオから見習うところはたくさんある。令和のユーザーに不安や怒りを与えている自動車メーカーさんは、平成元年に戻って、パオと当時の日産から大切なものを教わってきてほしいぞ。
【画像ギャラリー】どの地域でも活躍できそうなめためたイイクルマだったよな!!(16枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方日産はここら辺に立ち戻って欲しいです。
Be-1から始まりパオ、エスカルゴ、フィガロ等の遊び心がある車に
当時国産最高クラス(センチュリー、プレジデントを除く)だった
クラウンやセドリックの上にCIMAを作り、ミニバンではアルベル
よりも先にエルグランドで高級ミニバンを作った。日本の自動車
の分岐点をいくつも作ってきたメーカーですしね。