為替変動による減益に加え、新型コロナウイルスの影響を受けて中国武漢の工場での生産停止など、厳しい状況に直面するホンダ。
コロナ禍で業績が悪化または悪化見通しであるのは決してホンダだけに限った話ではないが、やはり古くから画期的なクルマ作りで世間を驚かせ、自動車ファンの間でも多くの“HONDAファン”を持つメーカーとあって、近年の元気のなさを心配せずにはいられない。
今年に入ってから日本市場でセダンのグレイスやシビックセダン、またジェイドを生産終了するが発表されたが、これに関しても日本導入当初から台数が出る車種ではないことは想像できただけに、ここにきての廃止はやや迷走している感が否めない。
思い起こせば、ホンダにはかつて経営危機に陥った時があった。そしてこれを救ったのも正しく画期的な商品=クルマであった。独創的なHONDAらしさが薄れたように見える訳とは?
文:鈴木直也
写真:HONDA
ベストカー 2020年7月26日号 特集『ホンダが心配になってきた』より抜粋
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「ミニバンがホンダを面白くなくさせた」に異論

クルマ好きのあいだで「最近のホンダは面白くない」と言われ出してから、もうずいぶん時間が経ったような気がする。
こういう声が聞かれはじめたのは、スポーツカーが消えて主力車種がミニバンになった頃、とされているが、その説に従えば1990年代の中頃。初代オデッセイやステップワゴンなどがヒットして、ホンダの商品ラインナップが大きく変化した時期ということになる。
しかし、自動車ジャーナリストとして長年ホンダと付き合ってきた筆者の経験からすると、「それはちょっと違うんじゃない?」という思いがある。
1990年代中頃というと、バブル崩壊と相まってホンダの経営状況は最悪。1994年にはパジェロブームに沸く三菱に国内シェアを逆転され、日経新聞に「ホンダは三菱に吸収される」なんてヨタ記事を書かれるほど業績が低迷していた。
ところが、そんな逆境下でもクルマ造りのモチベーションはバブル期以上に熱かった。
社長の川本さんを筆頭に、技術者はみなさん「いまにみてろ!」と元気いっぱい。後に伝説的といわれる積極的広報活動と相まって、この頃はホンダがもっともイケイケだった時代、というのが筆者の認識なのだ。

クルマの造り手側が熱く燃えている時は、概してユーザーの反応もいい。
それ以前のホンダ車とはキャラクターが大きく変わったものの、オデッセイやステップワゴン、そしてCR-Vなどの新商品ラインナップは大ヒット。
ユーザーは「やっぱりホンダのクルマは面白い!」と大歓迎していたのが実情で、いまや「つまらないクルマ」と思われているミニバンも、当時は新しい楽しさを提案する新ジャンルのクルマと評価されていたのだ。
つまり、問題は「ミニバンばっかりだから面白くない……」という皮相的なものではなく、これ以降のホンダがユニークで画期的なヒット商品を生み出せていないという、創造性の枯渇にある。
「ユニークなホンダ車」が減った要因とは?

その原因はいくつか考えられるが、まず指摘できるのはV字回復した業績を守るため商品企画が保守的になったことだろう。
オデッセイ、ステップワゴン、CR-Vなどの2代目以降のモデルチェンジを思い出してみると、どれも判で押したようなキープコンセプト。ヒット車の次世代モデルが守りに入るのはしょうがないにせよ、その後もズルズル右肩下がりなのはいただけない。
こういう現象が一部車種だけの話ならまだしも、ホンダ全体が保守化してしまったのは経営陣の責任だ。
トップがリスクを取ってくれなければ、クルマ造りの現場で思い切ったイノベーションが生まれるはずもない。
ホンダにとって今がまさに「正念場」

経営危機のなかで破れかぶれと表現したいような暴れ方をした川本時代が終わり、吉野さんが社長を継いで以降のホンダはいわゆる「サラリーマン化」がゆっくりと進行。
かつて宗一郎さんが口を酸っぱくして唱えていた「人のマネはするな!」という理念が、直近の業績を優先するなかで形骸化していった観がある。
こういう“ゆでガエル”状態を打破するには、ケツに火がつくくらいの危機感が特効薬なのだが、幸いなことに(?)直近のホンダ四輪事業は、利益率の低迷でほんとうに火の車となっている。
ここで火事場のクソ力を出せるか、あるいはリスク回避でさらなる縮小均衡に陥るか。いまがホンダの正念場だと思います。